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先日、NHKで放映された地球イチバン 「世界一服にお金をかける男たち」を
たまたま観てサプールなる言葉を知りました。

アフリカのコンゴでは、フランスの植民地時代の影響で
フランス紳士のようにエレガントに着こなす男たちのことをサプールと呼ぶらしく、
かれらは日頃、電気工事の職人だったり、
子供もいるお父さんなど普通の生活をしていながら、
給料の数倍もするブランドスーツ、シューズ、ネクタイ、サスペンダー、
ポケットチーフ、ソックスなどを相当数揃え
その組み合わせを楽しみながら、
街を歌舞伎役者の見得と同じように独特のしぐさで闊歩するのが
サプールの流儀らしくとてもかっこいい!と思いました。

舗装もされていない道をピカピカの高そうなシューズを履き、
気温が30度を下がることがない暑さのなかでも、しっかりとスーツを着こなし粋です。

ボクなんかサスペンダーは小学生時代のズボン吊り程度の認識しかないのですが
色とりどりのサスペンダーを組み合わせて着こなしているのを観ると
はじめてズボン吊りではなくサスペンダーとしてのかっこ良さの認識を持ちました。

かれらが着こなしの基本としてエレガントという言葉を使っていることも
何か新鮮な響きとして感じました。
日本ではエレガントをどちらかと言えば、女性に対して使う場合が多く
男性でエレガントと言われると女性的なイメージとして捉えられるかもしれません。
言葉の持つイメージ、価値観についてもう少し領域を拡げることで
新たなイメージを造り上げることが可能であるかもしれず、
先入観という枠組みを常に崩すということが必要だと思いました。

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きょうは朝から、現在浜の町に入院中の母のことで某施設を見学、
その後、家に戻り、少し休憩してから母を見舞いに行きました。

帰宅後、妻からメールがあり今日は仕事で遅くなるため先に食事をしておいてとのこと。
そうであれば、残りの冷凍餃子があるので夕食はビールと餃子でいこう!と考え、
少しお腹を空かせるためにも、きょうは少し気温が高いので
久しぶりに日曜日のウォーキングをすることにしました。

いつものコースで金屑川沿いから室見川との合流地点に向かって
百道中の西側の川沿いを歩いていると正面を横切っている通りから
部活を終わった中学生らしき集団が自転車で下りて通り過ぎって行った後、
後ろの方から「オオイシさんだ!!」と
まだ声変わり最中の大きな叫び声が聞こえました。

へえー!!帽子を真深に被り着ているものもウォーキングウエアなのに、
よく気づいたと思いました。
あの時、まじめに聞いていて壇上から反応がよくわかりませんでしたが
あの「オオイシさんだ!!」という叫びを聴き、少し安心しました。
かれらの心になんらかのかたちで届いていればと思いました。

でも—この地区のコンビニで変な雑誌など買えない!!し—-
変なかっこうでうろつくこともできないし-----
百道中2年生の眼が光っているので気を付けようと思いました------。
ひゃあーまずいー!!

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昨年の8月にフジテレビで放送された「若者たち2014」。
それに合わせ有線放送の日本映画チャンネルにおいて当時の「若者たち」ドラマ版全話と
映画「若者たち」、「続・若者たち」が放送され、ドラマ版数話と映画を観ました。

特に映画「続・若者たち」は、ボクが大学を出て大阪事務所に勤務していたころ
京都で自主上映され,仕事を早めに切り上げ、一人で観に行った記憶があります。
「若者たち」が1966年放送、映画が1967年と1969年上映。
当時が1979年でしたので「続若者たち」が上映され10年が経過した時代。
上映後に遅れて入ると立ち見の観客と熱気でびっくりしました。
場所は京都、かつての学生運動の本拠地ということもあってか
30代以上のサラリーマン姿の男性でいっぱいでした。

映画の中のシーンにおいて所々からすすり泣きが聞こえ、
最後はドラマの主題歌「若者たち」の大合唱となりました。
ボク達の年代(1956年生まれ)にとって若者たちのドラマについては
あまり記憶にありませんでしたが、この主題歌はずっと耳に残っていました。
当時、一体、「若者たち」とはどんなドラマだったのか知りたくて、
行ったのでした-----。

番組の冒頭に流れるザ・ブロードサイド・フォーが歌う「若者たち」は
夜明けを示すような高らかなトランペットによる
印象的な出だしによって始まります。

君の行く道は  ♪  はてしなく遠い ♪ だのに なぜ

歯をくいしばり  ♪

君は行くのか  ♪  そんなにしてまで

君のあの人は ♪  今はもういない ♪ だのに なぜ

なにを探して  ♪ 

君は行くのか  ♪  あてもないのに

君の行く道は  ♪   希望へとつづく ♪ 空にまた 

陽が昇るとき  ♪ 

若者は また  ♪  歩きはじめる

東京の下町に住む両親を亡くした一家の田中邦衛演ずる長男で
建築作業の仕事をしている太郎を中心とした5人兄弟の物語。

橋本功演ずる次男で角刈り頭が似合うトラック運転手の次郎。
山本圭演ずる三男で家族のなかでもっともインテリ学生で学生運動をしている三郎。
佐藤オリエ演ずる長女で工場に勤務している女工のオリエ。
松山省二演ずる四男で予備校生の末吉。

この5人が織りなす群像劇に当時の世相を反映させながら
封建的家父長制度の最後の生き残りのような太郎によって
衝突を繰り返しながらも家族崩壊寸前の瀬戸際のなか
家族としての兄弟愛が描かれています。
当時、核家族化に向かっている世の中の流れにおいてそこが感動的でもあり
労働争議、学生運動などの社会問題に対し
真摯に向かい合ったドラマだったと思います。
この家族の中での出来事が当時の社会の縮図であり
そのなかでの苦悩や葛藤は社会体制批判とつながったダイナミズムを感じさせました。

映画「続若者たち」が上映された年は、東大安田講堂事件と重なっており
国家権力の介入による学生運動の挫折感というものが
山本圭演ずる三郎を通して反映されているように思います。
当時の学生たちが信じた社会正義としての使命感は純粋であったかもしれませんが
その独善性によって次第に世の中に受け入れられなくなります。
そのような現実との狭間で苦悩する三郎を救うのは身内としての兄弟愛でした。
映画の中のシーンの挿入歌として「昭和ブルース」が流れます。

うまれたー時がー悪いーのかー ♪ それともー俺が悪いーのかー ♪

何もーしないでー生きてーゆくならー ♪

それはーたやすいーこーとーだけーどー ♪

この世にー生んだーお母さんー ♪ あなたのー愛にーつつまれてー ♪

何もー知らずにー生きてーゆくならー  ♪

それはーやさしいーこーとーだけーどー  ♪

なんにもーせずにー死んでゆくー ♪ おれにはーそれがーつらいーのさー ♪

とめてーくれるなー可愛いー人よー ♪

涙ーながれてーくーるーけれどー ♪

見えないー鎖がー重いーけどー ♪ 行かなきゃーならぬーおれなーのさー ♪

だれもー探しにー行かないーものをー ♪

おれはー求めてーひとりーゆーくー ♪

時代はどっぷり昭和でした------。
そういう1966年の「若者たち」に対し、「若者たち2014」は何を描こうとしたのか。
僕たちノンポリとして学生時代を過ごした世代として
このドラマに対する学生運動や労働争議を経験された
上の世代の感想が知りたくなりました。

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毎週、水曜日の10時から放送されている〇〇妻が面白い!
脚本はあの「家政婦のミタ」の遊川和彦。
家政婦のミタはほとんど観たことがなく、
NHK朝ドラの「愛と誠」の脚本を手がけたことで期待して観ましたが、
途中で観るのを止めました。

その彼が手掛けたということで「〇〇妻」を今度は期待せず観てみましたが
意外性のあるドラマということでは「家政婦のミタ」の原点に戻ったのでしょうか。
まずテレビキャスター役の東山紀之の演技!
これまであまり好きではありませんでしたがこれがいい!
そして彼だけがコメディという変わった構成。
東山の熱演を観る価値あり!
また、永遠の愛とは?本当の愛とは?このドラマを観ていると考えさせられます。

顔つきは強いのに秘密を抱えた控えめの演技で〇〇妻を演ずる柴咲コウも必見!
先週、いよいよその秘密が彼女から語られ、
それを訊いた東山が全てのわだかまりから解き放たれハッピーエンドと思いきや—-
果たしてこれからどのように展開していくのでしょうか?

きょうもオジサンは観るぞー!  〇〇妻  !

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東京TV開局50周年記念番組「永遠のゼロ」が隔日で3話放送され
録画したものを部分的に飛ばしながら観ました。

作者の百田氏に対しては、これまで品格を欠いた発言を再三されており 、
残念ながら非常に幻滅しています。
最近はボクの中では「ああ、またあのハゲか!」という状況になっています。

永遠のゼロの映画版も今ひとつだと思いましたが、もしかしたらドラマ版の方が
時間が長い為、小説の良さが生かされるのではと期待してました。

ところがまず宮部役を演ずる向井理が時代感や役に全く合っていないと思いました。
それは直立での敬礼や姿勢など体幹がしっかりしていないため
少年が演じているような印象を受けました。
また彼が着ている飛行服がいつもピカピカでとても最前線で
戦闘を繰り返しているようなやつれ感がなく、
他の飛行士たちも同様でリアリティを全く感じません。

次にラバウル飛行場は常に敵の空襲による銃撃や爆撃を受けている筈ですが
ラグビー競技場のようなきれいな芝生みたいな場所にゼロ戦がせいぜい10機ほどしかなく
すごく嘘っぽい背景、ゼロ戦の着陸シーンは模型飛行機と
50周年記念にしては予算がなかったんだなあと感じさせる演出。
でも飛行服ぐらいなら何とかなるでしょう。
改めて映像のなかのディテールがいかに大事かということを考えさせてくれます。

本を読んで筋書きがわかっている視聴者として
このように感じてしまうともう見続けることが苦痛になり途中で観るのを止めました。
この番組を手がけた監督はこの時代について勉強したのでしょうかねえ?

もともとこの小説の構成として、主人公に関わった人たちによる告白形式になっており
どうしてもその場面を中心に展開していく流れを映像化しても
単調になりやすい問題があり、思い切った脚本にしなければ小説を越えることは
難しいのでは-----–。

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