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2010.11.17

LED照明

照明メーカーのDAIKOがLED照明の新商品発表を行っているので
フジヤマとともに白金にあるショールームに行って来ました。

LED照明は近年、続々とメーカーより新しい照明が開発され
これまでのシリカ電球、クリプトンランプ、ハロゲン、蛍光灯を使用した
ダウンライト、スポットライト、ペンダント、シャンデリア、ブラケット
外部ポール灯など全てのライトに対応できる商品構成になってきました。
価格においてもナショナル、東芝などの大手メーカーが需要の増大に合わせ
生産量を増やしているためダウンライトなどは、当初、2万円を越えて
いたものが今年より2万円を切り、ゆくゆくは1万円を切る可能性があると
言われています。
(ただ、それでも住宅において全ての照明をLEDにすることは、イニシャルコスト
として費用が厳しく、また全てをLEDにするよりも波長の違うLEDと蛍光灯と
白熱球の3者を組み合わせたほうがより太陽光に近い自然さが出るそうです。)

LED8Wで白熱球の60W相当、11Wで80W、16.5Wで100W相当で
あるため、かなりの省エネになり、寿命は明るさが3割ほど低下する基準
において4万時間と言われています。
(LEDは白熱球のように寿命がきたらフィラメントが切れて、パッとお終いに
なるのではなく、じわじわと暗くなっていくものだそうです。) 
4万時間ということは夕方の6時から12時まで毎日6時間点灯して18年間、
白熱球や蛍光灯のようなこれまでの球替えが不要ということになります。
ただし現在、市販されているLED組込み型のダウンライトは従来のような
球替えができず、18年後に器具そのものを交換しなければなりません。
また、電球タイプで交換可能なLEDがありますが、組み込みタイプに対し
かなり能力が落ちると言われているので全体照明として考慮した場合
(ペンダントやブラケット、スタンドは交換タイプの球で問題ありません。)
どう捉えるか難しいところです。
さらに組込み型の問題点を解決した取替え可能なダウンライトが東芝より
出されていますが、15年後の取替え時期に果たしてそのタイプが
生産されているかどうか、今後の世界標準化の流れの中で判断しにくい問題が
あるようです。

また、LED照明の照度及び色温度の基準が同じ電球色でも各社バラバラで
あるため、新規の照明計画及び球替えにおいては1社に統一しておかないと
いけないらしく、早急に統一基準を作ることが求められています。

中村修二氏が発明された青色発光ダイオードなるものがいかに凄いのかよくわからず、
クリスマスツリーを飾る電飾に青色が増えたなあ
信号がLEDに変わったなあと思っていたぐらいのことでしたが、
黄緑色の蛍光体に青色発光ダイオードを組み合わせることで
明るい擬似白色光ができそれがLED電球の主流だそうで 
気付けばLED電球を通し世界的発明であることが身近に理解できました。
日本における照明器具の市場が4000億円、電球の市場が5000億円、
そうやって考えると特許をめぐっての訴訟を起こされた中村さんに
100億円に近いロイヤリティーを期限付きでやってあげても良かったのでは
と思いました。100億と言っても世界中の企業から期限付きで取るならば
1社当たりの負担など大したことにはならないと思うのですが-----—。 

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明治浪漫主義を表現し、わずか28才で短い生涯を閉じた青木繁という
久留米出身の画家を知っていますでしょうか?
知らない方は、戦後画壇の巨匠で福岡県を代表する洋画家坂本繁二郎は知っていますか?
この二人は、同じ年に久留米で生まれ、知人でありゴッホとゴーギャンのように
天才同士のライバルでした。
堅実な坂本に対し破天荒な青木。
論理的な坂本に対し感覚的な青木。
写実重視の坂本に対し浪漫主義であり歌人でもあった青木。
夏目漱石にも認められ画壇において順調に評価される坂本に対し
認められず生活が荒れ放浪する青木。
すべてが真逆の関係ですが、建築で言えばイタリアバロックの巨匠
ベルニーニとボロミーニも同じような関係かもしれません。

きょうは、八女の岡山公園で行われたその青木繁を偲ぶ「紅櫨まつり」に出席しました。
ボクの母方の祖母の父親は八女で産科医だったらしくその妹が久留米の青木家に嫁ぎ
青木繁が生まれたとのことで祖母と青木はいとこ同士でした。

当時、青木は故郷でブラブラしていたことがあったらしく、
何度か祖母を描いてあげると言われたようですが、親戚の中でも変わり者で
個性の強かった青木に対し良いイメージを持っていなかったことから
祖母は生前、断ったことを後で後悔していましたが----------。

今回で9回目になる「紅櫨まつり」には、縁故者として
おととしくらいから母へ案内状が送られてくるようになり、
今回、高齢の母の代理としてはじめて出席しました。

坂本繁二郎に師事された画家の方より青木繁が「海の幸」を描いた経緯について
お話がありました。

東京芸大を卒業したばかりの青木繁は、恋人で画塾の生徒であった福田たねと
友人の坂本繁二郎らとともに千葉県南部の布良(めら)で研修を行った。
坂本は毎日の生活も几帳面で、朝早くより起床し、海岸に出てみると
浜で暗いうちから漁に出た漁師たちが上半身裸のふんどし姿で
魚を水揚げしていた姿が素晴らしく、
そのことを帰ってきて、
ルーズで遅く起きてゴロゴロしていた青木に
興奮してスケッチを見せながら話した。
すると青木は、その話を聞き絵の題材としてくれと言い、
坂本の話を聞いただけで想像しながら1週間で描きあげたのが「海の幸」である。

見たものを描くことを身上としている写実主義の坂本は
この絵を最後まで評価しなかったそうです。
など等、貴重な話を伺い帰ってきました。
来年は、青木繁没後100年で、久留米の石橋美術館で3月より
大規模な回顧展が予定されているそうです。 

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2010.11.14

高校の同窓会

昨日は、毎年行われている高校の同窓会に6年ぶりに出席しました。
今年3月の福岡県美しい街づくり賞の授賞式に同期の3名が選ばれ
高校の同窓有志によってささやかなお祝いの宴をしていただきましたが
それがきっかけで、数名の同級の女性にボクのブログを読んでいただいているようで
恐縮しました。

1次会は天神西通りに面するビルの地下にあるヒッコリーというイタリア料理の店。
西新よりバスに乗り西鉄グランドホテル前で降り、
若い人たちで賑わう西通りを歩いていくと、岩田屋前の広場にたくさんの群集が。
翌日の市長選投票への高島候補の最後のお願いが
異様な熱気と拍手のなか行われていました。
そこを横目に見ながら通り過ぎると、全体がガラスで覆われた中にルーバー状の板の間から
光が漏れている新しく出来た商業ビルがあり、
その前に多くの人々が列を作って並んでいました。
お店に到着して、先に来ていた同級生にそのビルが何なのか聞いてみると
アバクロが銀座に続き日本で2店目を福岡にオープンしたそうでその初日でした。
隣で聞いていた別の同級生のオジサンはアバクロのことを知らず、
「なにそれ?キャバクラ?」と言っていましたが-----—。

同窓会の始まりにまず物故者への黙祷。
53才から55才の450名の同級生でこれまで20名の方が亡くなりました。
人生は平坦ではなく、どんな人間にも乗り越えなければいけない壁がいくつもあり
僕らはこの世に生まれてきた使命として天寿をまっとうしなければなりません。
生きていくって大変だと年齢とともに最近思うようになりました。

同窓会では早速、浅田次郎の「蒼穹の昴」の話題が上がり、
原作を読んでいたとか、BSの吹き替えなしの放送を見たとか話しかけていただき
さすが、レベルが高い反応で冷や汗をかきました。
同窓会にはもちろんY設計の家原くん、竹中工務店設計部長の吉田くんも参加。
3年9組という題でこのブログで紹介した精神科医のTくん、
東野産婦人科の東野くんも参加。
大阪からは、一昨年、通産省の官僚から天下りせずに民間会社に転職したNくんも
来ていろいろと中央の話を聞きました。
2次会にも参加、余勢をかってその後、
3次会は川端商店街のT女史のビルにあるスナックでみんなとカラオケ。
カラオケなんて何十年ぶりに歌いました。
帰りは現福岡市長の吉田宏の選挙応援をされていた女性社長のIさんと
方向が同じでタクシーで帰宅。
車の中で今回の選挙の厳しさを少しばかり聞きました。

きょうは二日酔い、家でゴロゴロ。

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中国の鄭州のデベロッパーなのかコンサルなのかわかりませんが
英文のメールで設計依頼の問い合わせがありました。

当アトリエについてINTERNATIONAL ARCHITECT
websiteを見たと書いてありました。
インターネットで検索してみると当アトリエが手掛けたSOLIDという住宅が
ポルトガルのDARCO MAGAZINEという雑誌なのかネットなのか
わかりませんが掲載されており、上記の世界の建築家一覧の中に
アトリエ名がありクリックするとホームページに飛ぶようになっていました。
ところが、当アトリエからこのSOLIDの写真データを送ったこともなく
どうして掲載されているのかよくわかりません。
 
そのメールには、この番号に電話で連絡をして下さい。と書かれてありましたが
英語のメールで問い合わせてみると
今度は中国語で送られてきました。
取り敢えず、
インターネットの翻訳システムを使用してみましたが半分くらい理解でき
あと半分は理解できません。
それによると敷地が38000㎡、建物面積が95000㎡のホテルとオフィス、
商業施設を伴った複合施設のようで設計期間が6~8ヶ月、
中国で一緒にやりましょう!
と書いてあります。
ひゃー!!中華料理を食いに行くぞー!
中華料理!、中華料理!とアトリエで騒いでいました-----—-。

さらに翌日、今度は今後仕事を進めていくうえで中国語がわかる通訳が
必要なので商務担当の○○さんに連絡を下さいというメールが来ました。

とにかく、中国語がわかる人を紹介してもらうためいろいろなルートで連絡し、
再度翻訳してもらうとともに中国との設計経験がある組織設計事務所の
方からも貴重な意見を頂きました。
8月にインターシップで当アトリエにきた英国の王さんにも連絡を取り
上海にいる王さんのお父さんがどういう会社か調べてもいいという
段取りもメールで頂きました。

今の中国は、かつての高度成長時代の日本のように勢いがあり
アバウトさも寛大さも大陸的なのかもしれませんが
どこまで本気で現実的なのか異国の地では想像もつきません。
当アトリエの手掛けた物件を確認したいとありましたが、
それは当然の事で極めてまともなのですが、
それならばホームページを見ればどんな規模と用途のものを
設計しているのかすぐ判断できる事で
どこまで理解されているのかよくわかりません。
international architectには日本の著名な
建築家も多数掲載されており、当アトリエ以外にアプローチを
されている可能性は多いにあり、これをチャンスとして捕らえるのは
馬鹿っぽいのではとも考えてしまいます。

現地での設計体制や報酬、通訳など事前段階での契約についての知識と
それがわかる専門の方など小さなアトリエではとても対応ができない
難しさがあり、いろいろな人に迷惑をかけましたが
とにかく勉強になりました。

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この度、作家の浅田次郎氏が「終わらざる夏」で毎日出版文化賞を受賞されましたが
ボクは、この方のエッセイが軽妙洒脱でとても好きでした。

以前インタビューで作家を志されたきっかけについて聞かれていましたが
「作家になろうと思ってなれるものではなく、書くことが大好きで作家になりました。」
と答えられていました。
確かに建築家も同じかもしれません。
建築家になろうと思ってはダメで建築の事が好きで好きでたまらなく好きだから、
その結果として建築家になるのかもしれません。
どういう職業おいても好きで楽しいと思うことが大切ですが、
誰もがそんなに恵まれているのかというと難しいところです。

ところで、浅田さんが書かれた「蒼穹の昴」が日曜日の夜の11時より放送されています。
先日、初めて観ましたが、とにかく衣装やインテリアの色彩が素晴らしく
このブログを読まれインテリアに興味のある方には是非、お勧めしたいと思いました。
清朝末期の宮廷の色彩がこんな色味とは思うぐらい美しく撮影されています。

日本と中国の合作で、中国の全面協力によりカメラワークも含め素晴らしい映像です。
西太后役には日本の田中裕子が演じ、歴史的背景を含め興味深いドラマです。

明日の4時より3日間、第5回から7回までNHKで再放送されますので
興味のある方は是非、ご覧になって下さい!

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