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明治浪漫主義を表現し、わずか28才で短い生涯を閉じた青木繁という
久留米出身の画家を知っていますでしょうか?
知らない方は、戦後画壇の巨匠で福岡県を代表する洋画家坂本繁二郎は知っていますか?
この二人は、同じ年に久留米で生まれ、知人でありゴッホとゴーギャンのように
天才同士のライバルでした。
堅実な坂本に対し破天荒な青木。
論理的な坂本に対し感覚的な青木。
写実重視の坂本に対し浪漫主義であり歌人でもあった青木。
夏目漱石にも認められ画壇において順調に評価される坂本に対し
認められず生活が荒れ放浪する青木。
すべてが真逆の関係ですが、建築で言えばイタリアバロックの巨匠
ベルニーニとボロミーニも同じような関係かもしれません。

きょうは、八女の岡山公園で行われたその青木繁を偲ぶ「紅櫨まつり」に出席しました。
ボクの母方の祖母の父親は八女で産科医だったらしくその妹が久留米の青木家に嫁ぎ
青木繁が生まれたとのことで祖母と青木はいとこ同士でした。

当時、青木は故郷でブラブラしていたことがあったらしく、
何度か祖母を描いてあげると言われたようですが、親戚の中でも変わり者で
個性の強かった青木に対し良いイメージを持っていなかったことから
祖母は生前、断ったことを後で後悔していましたが----------。

今回で9回目になる「紅櫨まつり」には、縁故者として
おととしくらいから母へ案内状が送られてくるようになり、
今回、高齢の母の代理としてはじめて出席しました。

坂本繁二郎に師事された画家の方より青木繁が「海の幸」を描いた経緯について
お話がありました。

東京芸大を卒業したばかりの青木繁は、恋人で画塾の生徒であった福田たねと
友人の坂本繁二郎らとともに千葉県南部の布良(めら)で研修を行った。
坂本は毎日の生活も几帳面で、朝早くより起床し、海岸に出てみると
浜で暗いうちから漁に出た漁師たちが上半身裸のふんどし姿で
魚を水揚げしていた姿が素晴らしく、
そのことを帰ってきて、
ルーズで遅く起きてゴロゴロしていた青木に
興奮してスケッチを見せながら話した。
すると青木は、その話を聞き絵の題材としてくれと言い、
坂本の話を聞いただけで想像しながら1週間で描きあげたのが「海の幸」である。

見たものを描くことを身上としている写実主義の坂本は
この絵を最後まで評価しなかったそうです。
など等、貴重な話を伺い帰ってきました。
来年は、青木繁没後100年で、久留米の石橋美術館で3月より
大規模な回顧展が予定されているそうです。 

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