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東京から帰ってきて以降、ずっと寒い日が続いており
今年は冬の訪れを早く感じます。
今日はフォルツアのスタッフである前田さんのサプライズ送別会に出席。
代表の青木さんからの依頼で前田さんにわからないように
出席の返事はメールではなく直接、青木さんの携帯へ連絡!
設計、施工合わせ50人近い参加者がみな賛同し
ひとりもミスなく今日この日を迎えました。
入口より全員が前田さんの花道を作って二手に並び
クッラカーを持ちお出迎えをしました。
驚いた前田さんは思わず涙、涙、なみだ------。
前田さん4年間本当にお疲れさまでした。
最初はフォルツアや我々建築家のクライアントとして
次にフォルツアのスタッフとして
個性的で気難しい我々をフォローして頂き
ありがとうございました。
結婚されてても前田ファンが多く送別会は盛り上がりました。
 
二次会は井本と柳瀬さん三人で赤坂のおでん屋に飲みに行きました------
後半、井本氏の「考え方が古い!」発言で論争となりどっと疲れる------。
どうして断定的に言える自信があるのかよくわかりません。
     

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2017.12.02

安藤忠雄展

黒川紀章氏が設計した国立新美術館で行われている「挑戦」と
名付けられた安藤忠雄展に行って来ました。
2度の大手術を経験されてもご本人が言われるには回顧展ではなく
あくまで挑戦としての展覧会だということで
どこまでもパワフルで大規模な展覧会でした。
展覧会はこれまで観てきたどの建築家の展覧会よりも大規模なもので
安藤氏が手掛けた初期の住宅から最新の海外のプロジェクトまでが
紹介されています。
最初のブースでは木でできた住宅の模型とコンセプト及び映像が
プロジェクトごとに紹介され、
列に並びながら一つ一つ読み込んでいくと
最初のブースだけで1時間半ぐらいはかかる内容です。
安藤さんのプランは
住宅であっても幾何学的に整理され非常に美しいものですが、
プランが美しいということは
建物を上から見たイメージが常にあるように思われ、
(実際、建物は上から見られても美しく見えるように防水層の上に砂利が敷かれ
設備的なものも整理されています)
見方によっては目線位置でのプロポーションに対し
初期のころはそれほど意識されていないようにも感じられます。
安藤さんを感覚的だとすれば対称的に磯崎さんは論理的であり
且つ建物のプロポーションにこだわりがあり、
その部分においても対称的のように思いました。
(最近の建築においてプロポーションにこだわる建築家は少なくなっており
九州の耽美派と言われる建築家たち(柳瀬、田中、松山、山田等)は
逆にプロポーションにこだわっていると思います
-----–ボクの勝手な感想ですが-----)
住宅プロジェクトの先には国立新美術館の裏手敷地に
大阪の「光の教会」の実寸大がコンクリート打ち放しで再現されており
空間を体感することができるようになっています。
安藤さんらしい破天荒なアイデアに驚くとともに
この展覧会が前代未聞であることが実感させられます。
「光の教会」は約30坪で予算が3500万円しかないという条件の中
光の入り方と人の動きを考慮した構成が抽象化され
ミニマムでありながら自然光の動きにより豊かな空間を体験することができ
久しぶりに感動しました。
また、この教会の中の横幅と高さの関係性が絶妙でもあり
傑作だと思います。
芸術という行為は抽象化によって表現されるもので
この小さな教会の空間体験を通すことで安藤氏の意図を
素直に感じ取ることができます。
外から再び中へ入ると住宅以降の安藤氏が手掛けた公共建築物や
海外のプロジェクトの巨大な模型、映像などが一堂に展示され
見ごたえがあります。
この展覧会を通して氏の強靭な意志によるぶれない姿勢により
建築家が社会との関わりを持つために大変なエネルギーを使い
常に挑戦されていることに尊敬の念を持ちました。
したがって安藤氏は社会性を獲得した稀有な建築家であり
建築の持つ根源的な力強さを表現している建築家として
また日本においては長い歴史の中に名を残していく偉人としての
逸材であると改めて思いました。
安藤忠雄展は今月18日までとなっています。
また、鑑賞時間は非常に作品のボリュームがあるため3時間~4時間は
かかります、美術展に行ってこんなに時間がかかることはありません。
(音声ガイドはお勧めです)
        

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筑波の叔父が亡くなり、急遽、30日、通夜と葬儀に行くことになりました。
大石家には四男三女の叔父叔母がおり、
私の父が長男でこれまでに父と四男、次女が他界、
次男であった叔父が亡くなったことで
95才の長女と三女、三男の三人だけとなりました。
三男と三女の叔父叔母は祖父が戦後まもなく他界したため
ソ連に抑留されていた父が帰国後、
会社勤めに復帰し結婚してまもなく高校生だった二人を
父親代わりとして引き取り、一時期ともに生活をしていました。
当時、狭い社宅に祖母と叔父、叔母、そして両親、姉と私という
7人が住んでいたわけで母も大変だったろうと思います。
そういうこともあって、大石家のいとこ同士も大変仲が良く
むかしから交流が行われていました。
特に三女だった叔母は私が小さい時から面倒を見てもらって
「おねえちゃん」と呼んでおり、
ボクにとってはずっと「おねえちゃん」なのです。
ところで、大石の本籍は八女ですが今では親族のほとんどが関東で
九州には私と次女だった叔母のいとこがいるぐらいです。
したがって、今回の叔父の葬儀には大石家の長男として出席しないと
いけないと思い行くことにしました。
当日は急に寒くなりましたが、自宅を13時15分頃出発。
15時発成田行きのジェットスターに乗って
常磐線の荒川沖前にある葬儀場に着いたのは19時で
約6時間ほどかかりだいぶ疲れました。
同時刻には東京で働いている長男も到着し
通夜の席ではみんなでお酒を飲みながら叔父を偲びました。
親族に会うことは懐かしくもあり、この年になっても
「和彦ちゃん!遠くから来てくれてありがとう!」と
「ちゃん」づけで言われることが嬉しくほっとします。
葬儀という悲しい場ではありますが、
親族が多いと随分と心強く感じます。
戦後の我々の世代では2人兄弟が一般的となりいとこの数も少なく
身内での通夜や葬式も次第に寂しくなっていくのかもしれません。
翌日、式に立ち会ったあと、火葬場には同行せず東京へ向かいました。
久しぶりに東京へ来たついでに現在、開催中の安藤忠雄展を
是非、見ておきたいと思ったからでした。

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妻の休みに合わせ、19(日)、20(月)と御船山の紅葉と九十九島への小旅行に
行って来ました。


御船山へは福岡より1時間半で行くことができ、
朝の10時ごろ出発して昼前に到着。
紅葉は京都ほど色づきがいいわけではありませんが
樹齢170年のもみじなどを観て庭を散策しました。
その後、井手ちゃんぽん本店で昼食を取りたかったのですが
日曜日でもありお店の前には行列ができており
九十九島の遊覧船が15時半までのため
佐世保へ直行しました。
九十九島は昔からせんべい(ピーナッツが入ったちょっと甘めで薄い)が
有名で知ってはいたものの行くのは初めてでした。
島の数が九十九あるという訳ではなく、実際は200近くあることを
それぐらい多いという例えの名称だということも初めて知りました。
東北の松島でも遊覧船に乗ってみましたが
こちらの方が島の数が多く、眺める風景も変化に富んでいます。
福岡から2時間ちょっとで行ける名勝地があったなんて驚きです。
もっと宣伝してもいいのではないでしょうか。
弓張りの丘のホテルからは、いくつもの島影が重なり合った素晴らしい
風景を眺めながら温泉に入りました。(夕食のバイキングはイマイチ)
翌日、佐世保市内にある白井晟一設計の親和銀行本店を見学。
日本的ではない石のボリューム感に圧倒されました。
低層部に使用されている磨かれた赤御影の石と上層部に荒々しく積まれている
石の対比感、その上に乗っかているシャープな切れ味の屋根
西洋的伝統性を感じながらもモダンであり、
竣工当時(1975年)建築を志す学生にとっては一世を風靡した建物でした。
ただ実物を観て思ったのは、正面とサイドとの落差が大きく
素人ながら手厳しい妻などは「これってファサード建築じゃない?」
と言っておりましたが-----—-。
その後、高速で一気に帰らず有田、伊万里を寄り道して帰りました。

伊万里では大河内山というところに寄る。
ひなびた焼き物の里でちょっとばかりブラブラ歩くには丁度良い場所です。

2日間ともお天気に恵まれ良い旅でした。
福岡から武雄(御船山)~九十九島~弓張の丘(入浴のみ可)というコースで
日帰りもできますし頑張って朝早く出れば、その後、有田、伊万里経由でも
日帰りが可能かもしれません。
       

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今日、日曜日は妻も仕事が休みでボクは16時より打ち合わせがあるため
ふたりで北九州市立美術館で開催されているターナー展に午前中行って来ました。
美術館のリニューアルオープン記念展ということらしく
43年前の竣工当時に近い状態で改装されており新鮮に感じました。
竣工した1974年といえば、ボクはまだ高校3年生で
この建物の設計者である磯崎新氏はポストモダニズムの旗手として
すでに建築界のスーパースターでした。
翌年の75年に氏の著書である「建築の解体」が出版されており
その2年後に当時、建築学科の2年生だったボクは
建築の歴史やモダニズムの現状など全く理解していない状況で
むさぼるように読んだ記憶があります。
磯崎氏はモダニズムという規範を解体し、
建築の領域を拡張させる試みの手段として
歴史様式からの引用、暗喩等を試みられており
北九州市立美術館は、1910年代のロシア構成主義の影響を受けた
ロシアの美術家エル・リシツキーとオランダの建築家マルト・スタムがデザインした「雲のあぶみ」プロジェクトからの引用がされています。

「雲の鐙」―周りの風景、市電、街灯、服装などと比較しても当時
建築が時代の最先端を走っていたことが窺われます。この建物は敷地スペースが
十分に確保できない交差路にオフィスビルとして計画されました。
それにしてもぶっ飛んでいます!
北九州市を一望する丘の上に大きな二つの角型シリンダーが突き出た形態は
極めて象徴的であり敷地及び建築家選定は当時の谷伍平市長による英断の賜物です。
美術館へは2本の突き出たシリンダーの間より階段を上って入ります。
二つのシリンダー内は展示スペースになっており、
その間が吹き抜けのある大きなホールでトップライトからの光が降ってくる
ダイナミックな構成を感じ取ることができます。
エントランスから入って正面は2階へ上がる階段でバロック的な構成である
左右対称に途中から分かれて上がる大階段になっています。

ターナー展は来年の2月まで開催されています。
4年前に東京都美術館で行われた展覧会より小規模で小さな作品がメインと
なっていますが行かれる方は事前に2014年度の映画「ターナー、光に愛を求めて」
を観ていかれた方がいいかもしれません。
    

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