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筑波の叔父が亡くなり、急遽、30日、通夜と葬儀に行くことになりました。
大石家には四男三女の叔父叔母がおり、
私の父が長男でこれまでに父と四男、次女が他界、
次男であった叔父が亡くなったことで
95才の長女と三女、三男の三人だけとなりました。
三男と三女の叔父叔母は祖父が戦後まもなく他界したため
ソ連に抑留されていた父が帰国後、
会社勤めに復帰し結婚してまもなく高校生だった二人を
父親代わりとして引き取り、一時期ともに生活をしていました。
当時、狭い社宅に祖母と叔父、叔母、そして両親、姉と私という
7人が住んでいたわけで母も大変だったろうと思います。
そういうこともあって、大石家のいとこ同士も大変仲が良く
むかしから交流が行われていました。
特に三女だった叔母は私が小さい時から面倒を見てもらって
「おねえちゃん」と呼んでおり、
ボクにとってはずっと「おねえちゃん」なのです。
ところで、大石の本籍は八女ですが今では親族のほとんどが関東で
九州には私と次女だった叔母のいとこがいるぐらいです。
したがって、今回の叔父の葬儀には大石家の長男として出席しないと
いけないと思い行くことにしました。
当日は急に寒くなりましたが、自宅を13時15分頃出発。
15時発成田行きのジェットスターに乗って
常磐線の荒川沖前にある葬儀場に着いたのは19時で
約6時間ほどかかりだいぶ疲れました。
同時刻には東京で働いている長男も到着し
通夜の席ではみんなでお酒を飲みながら叔父を偲びました。
親族に会うことは懐かしくもあり、この年になっても
「和彦ちゃん!遠くから来てくれてありがとう!」と
「ちゃん」づけで言われることが嬉しくほっとします。
葬儀という悲しい場ではありますが、
親族が多いと随分と心強く感じます。
戦後の我々の世代では2人兄弟が一般的となりいとこの数も少なく
身内での通夜や葬式も次第に寂しくなっていくのかもしれません。
翌日、式に立ち会ったあと、火葬場には同行せず東京へ向かいました。
久しぶりに東京へ来たついでに現在、開催中の安藤忠雄展を
是非、見ておきたいと思ったからでした。

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