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平野君と対応してきた唐津リフォーム1期工事の引き渡しに立ち会いました。

 

 

続き間の和室があった場所から2階階段を挟み奥の居間をみた解体状況

 

 

 

床下の断熱、壁の断熱、サッシの取り替えを経て、和室の続き間があった部分に主寝室・WICとキッチン、ダイニングを設け、階段も勾配を緩くしたスチール製に変更し、奥がリビングになっています。

素材はお施主様の要望でヒノキの無垢材としっくい壁になっています。

 

 

西側のデッキスペース側は半間増築し中間領域としてのインナーテラスになっています。

 

 

リビング上部は2階部分が載っていない小屋裏を利用し既存梁材と補強H型鋼を見せた上がり天井としています。

 

平野君お疲れさまでした。

 

浄水PROJECTの配筋検査に立ち会いました。

だいぶ廻りの景色が変わってきました。

敷地が坂道に面してあり、その結果、道に面した階が地階で

2階部分は道から3層部分になりかなり高さを感じます。

中央右側の開口は1階リビング上部の吹き抜けになります。

2025.05.25

渋谷現況

 

リビング展に行ったついでに渋谷に寄ってみました。

 

 

 

大学卒業後、設計事務所が南青山にあったので

渋谷は通勤で毎日通っていましたがもう昔の街並みは全くわからなくなり、

どこを歩いているのかもわかりません。

仮設用の通路が立体交差して複雑です。

 

 

工事の方に聞いてみるとあと10年はかかると言われていました。

 

 

そんな未来都市に生まれ変わろうとしている渋谷の一角に——–

 

 

 

ありました!東京名物富士そば!!

ボクはここのコロッケそばが大好きなのです。

 

 

コロッケが東京の濃い口つゆとよく馴染み

コロッケに染み込んだつゆとのハーモニー!!ああうまかあ

 

 

 

 

 

東京六本木にある国立美術館で開催されている建築展に行って来ました。

1920年から1970年までの50年間に建てられた住宅において影響を与えた15の住宅を取り上げ各々を衛生、素材、窓、キッチン、調度、メディア、ランドスケープという、モダン・ハウスを特徴づける7つの観点から再考するという企画でした。

ボクにとってはルイスカーンのフィッシャー邸の実寸大開口部が展示されるということに興味がありそれが体感できたことは良かったと思っていますが夫々の住宅がどのような理由によって取り上がられたのかという部分がよくわからず、模型や実際の図面もたくさん展示されていましたが掘り下げ方が今一つよくわからず不完全燃焼でした。

また、会場内に休憩する椅子やソファが一つもなく年配の方には不親切な対応も非常に疲れました。

 

 

会場構成を示した案内図でこの配置計画理由が非常にわかりにくく7つの視点との絡み方がわかりません——-。

 

 

フィッシャー邸の模型は周辺の環境がよくわかるようになっていました。

 

フランク O ゲーリーの自邸模型も良く出来ており、上から見るとバラック感が非常に理解でき、ここから後のゲーリーの大躍進を想像できませんが結果から見ればすでに要素の分解が行われておりその萌芽を感じることができました。

あとそれ以外の収穫としてはエーロサーリネンによるミラー邸の存在を

初めて知りました。ケネディ空港の有機的デザインとは全く対照的な9つの幾何学的グリッドによってゾーニング された住宅で面白いと思いました。

興味のある方はその後9月より兵庫県立美術館で巡回展が行われますので

行かれて下さい。

 

 

 

昨日、ミスタ―フローリングの篠原さんより平安さんが5月13日に急逝

され家族で葬儀を済ませられたとのメールがあり

突然の訃報に非常に驚きました。

昨年12月にリズムデザインの井手君の最近の活躍ぶりを1月にプレゼされる企画案内を頂き

右足首の骨折治療の為欠席の返信をしていましたが

2月の中旬頃、平安氏よりボクの快気祝いをして頂く連絡があり

29日にお会いして会食をしました。

81才にも関わらず、いつも通りとてもお元気で楽しいひと時でしたので

非常に残念に思っています。

平安さんとはもう30年以上の知り合いで、大学同期の無重力計画主宰の

井本氏の陰ひなたの援助者であり福岡建築界の援助者であるとともに

日本を代表する建築家である伊東豊雄氏、隈研吾氏、古谷誠章氏、竹山聖氏、千葉学氏等と

懇意にされていた方でした。

ボクとは血液型がAB,且つ星座がさそり座とどちらも 同じ超個性的な方で

30年前に柳瀬事務所の香港旅行にご一緒に行かせて頂き、

11年前には伊東豊雄氏が台湾の台中オペラハウスの国際コンペを取られた

現場見学を行う企画を立てられ、

旅行日程の策定については氏から指名を受けボクの方で計画を立てました。

(その時はまだ元気だった日本設計九州支社長の森氏も一緒でした)

あの旅行もついこの前のように感じていましたが11年の月日が過ぎるのは

非常に速いものです。

氏とのたくさんの思い出を造らせて頂き本当にありがとうございました。

謹んでお悔やみ申し上げます。