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6月中旬に提案予定の久留米のプロジェクト。
現在、計画中ですが2世帯住宅でコンクリート造のご要望なのですが
トータルで44坪以内に納めないと予算オーバーになるため格闘中です。
きのう、近大の授業でご一緒したNKSアーキテクツの末廣宣子さんに
コンクリート住宅での坪単価を伺ったところ、坪65万円ぐらいでの物件を手掛けたとのこと。
そうするためには、造作家具を極力作らず、納戸を設け、天井も貼らず打ち放しのままに
するなどインテリアに凝らずに構造と構成が一致した上で
余計なものを造らなければ、できるそうです。
コストのことをあまり念頭に置きすぎると発想が縮んでしまいますし、
と言って、かけ離れたものをイメージしてもとつい思いがちです。
やはりバカになってまずは造りターーイ!と思うものを考えた方がいいのか。

きょうは、毎月第三金曜日の7時より行なわれている若手建築家の集まりである
「けんちくのはなし」に行って来ました。
今回は、リズムデザインの井手くんが自分の作品について語り、それについて
井手君の元ボスである無重力計画の井本氏が論評するという構成でした。

「翻訳者的建築家像の20年後」と題された彼のスタンスとして
社会に対してより建築をわかりやすいものとして近づけるために翻訳者としての
ポジションを自分は建築家として取るつもりであるという内容でありました。
3つの物件のプロセスを詳細に説明することで、依頼主である施主との
共同作業を浮かび上がらせ、依頼者の意向をすくい上げながら
より客観的にデザインを行なうという姿勢でした。

一方、井本氏は翻訳者という言葉は勘違いされやすい表現であるとの危惧をし、
建築に対する論理的客観性という姿勢は、作家性の強かった自分に対し
反面教師として捉えているのだろうという感想がありました。
また、時計を100年前に戻して1909年の時点において、その時の建築家が
20年後の建築のあり方をどのように想像できたのであろうかと置き換え、
当時のアールヌーボーの建築家が20年後にコルビジェの登場を予測することが
困難であったように、現在において歴史を俯瞰することができない我々は
2029年を予測することは非常に難しい。
しかしながら君たち若手建築家は今後、建築のかたちなどよりも建築の考え方について
根本的問い直しをすることで突破口を見つけて欲しいとの激励がありました。

そこでメイ建築研究所の河野氏から井本氏には「愛」がある!天地人だ!との合いの手が。

また、日本設計の森氏からも「翻訳者」という言葉に対し疑義があり
サリンジャーを翻訳した村上春樹を取り上げ、かれは翻訳をすることで
自分の創作行為へ生かすことを考えているが、翻訳とはあくまである創造的行為の
代弁者であって、その内容においての主体ではないため「翻訳者」というスタンスが
理解しづらいとの意見が出ました。
(ボクも全くの同意見なのですが、井手くんは全く意に介さず最後まで強気の姿勢でした)
その後、9時を過ぎたため、論議は一応食事とお酒を飲みながらということで
この「けんちくのはなし」を仕掛け、会場となっている平安氏のオフィスを急いでみんなで
セッティングしなおし、結局午前2時頃まで飲んでいました。
その時間を通して改めて感じたのは、30才前後の世代が作家性ということに対しての
意識があまりなく、社会性に対し強い意識があるということでした。
この部分について今後議論を深めていく必要性を強く感じました。

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