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2016.02.21

墓碑銘

来月の母の1周忌までに八女の納骨堂から糸島の海辺の墓へ
骨壺を移動する必要があり、
納骨堂から骨壺を出す際には
お坊さんに「魂ぬき」という供養をしてもらうことになってます。
1周忌の1週間前までに魂抜きをして糸島の霊園に骨壺を預かってもらい
当日、魂入れと1周忌をいっしょにお願いしようと考えています。

お墓は、海が見える丘の上にあり
家族墓という骨壺が6つまで収納可能なスペースが
芝生面の地中に堀込されており、
その上に御影石の蓋がされるというシンプルなものです。
きょうはその蓋に彫り込む墓碑銘ついて
いろいろと考えてみました。

「大石家」というほどきちんとした大きなお墓でもないし
ボクの世代になって墓碑銘をつけるのなら
もっと今風でいいと思いました。

とは言え、西洋のお墓と違い日本では先祖のお骨も入るため
自分のことだけについての書き方では差し障りがあります。

妻に確認してみると
「安らかに眠る」という言葉に対し、
あの世に行ってもその墓にじっといるわけでもないし、眠るつもりもないので
眠るという言葉は止めにしようということに。

自分たちがお墓に入って息子たちが墓参りにきたイメージを考えていると
何だか変な気持ちに-----–。
まだ59才なのにもうお墓のことを考えなければならないのも
どうなんだろうと------。

近くの墓碑銘には「逢いに来てくれて ありがとう」というものがあり
そうだなあこんなでいいよねえと思いながらも同じという訳にもいかず
ポールヴァレリーの「海辺の墓地」という詩を読んでみるものの
難しくて理解できず、はあーなんかないかねえーと思う------。

世の中の若手建築家たちは日曜日のきょうも仕事でバリバリしているのに
ボクは墓碑銘を思案中というこのギャップはなんじゃらほーーい!!

      

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