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26日の朝早く、母が入院している病院から連絡があり
見舞いのため東京から帰っていた子供たちとともに家族4人で
最後を看取りました。

浜の町病院から早良病院へ転院しリハビリをして自宅復帰を目指していたのですが
母の肝硬変はかなり進んでおり、先生から今月越せるかどうかと言われました。
そこで東京にいる伯父、叔母や子供たちに連絡をしていました。

亡くなる前日に長男が妻とともに見舞いに行き、
夕刻に着いた次男は26日に見舞いに行く予定でした。
ボクは24日に母が食べたいと言っていたやきいもを必死で探して回り
買ってきたものを二つに分け、食べさせてあげました—-。

東京の伯父と叔母は、父方の三男と三女ですが
中高生の時に父が通学のために引き取り、狭い社宅でいっしょに生活をしていたため
ボクや姉にとっては、兄弟のような存在で
伯父や叔母も母のことを慕っていつも気にかけてくれていました。
ふたりとも見舞いにくるつもりで当日、準備していたため夕刻に駆けつけてくれました。

親族が見舞いにくるタイミングを見計らったように静かに息を引き取ったのは
きっと、みんなに迷惑を掛けないように
天国から父と姉が迎えに来たのでしょう-----–。

母は四姉妹の四女として台湾で生まれ、
専売公社の支局長だった実家は比較的裕福だったようですが
戦後、財産を没収され故郷の八女に引き上げて来ました。
父は、終戦時、北朝鮮あたりで捕虜となり、
収容所を脱走後再び捕虜となって
モスクワ近郊で抑留され数年後、日本へ戻ることができました。
二人は知人の紹介で知り合ったようですが
父は長男としてたくさんの兄弟の面倒を見なければならず
母はそれを受け入れ苦労しながら家計のやりくりをしていたようです。
体は強い方ではなく、いくつもの大手術を乗り越えながら
娘の死も受け入れなければならないことに対し
すべて自分がこの世に生まれ、積まなければならない修養だと捉えていました。

宝塚にあこがれ、ファッションに対しても個性的だった母から
ボクは感性を受け継ぎ、父からは合理的現実性を受け継いだように思います。

1週間で会社と身内の大切な人を続けて失い、精神的に疲れました-----。

26日(木)の夜、お通夜、27日(金)に告別式を家族葬で済ませ
今回、母が亡くなったことは親族と母の知人以外は誰にも知らせず行いました。

28日、土曜日は打ち合わせが4件もあり、さすがに夕方頃から目の上が痛くなりました。

29日、日曜日にようやく一息つくことができましたが、
今後、法要や遺品整理を含めやらなければならないことがいっぱいあります。

これからは毎年、桜が咲き始めるころに母を想い出すことになりそうです-----–。

“母にお迎えが来ました” への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS:
    先週からの雨で折角の桜も散りだし、今朝は冷たい雨になっていますね。
    お母様の事、本当に残念です。
    ねがはくは 花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
    私の好きな短歌です。毎年、桜を見ながら私もこうありたいと願っているのだけど、そんな頃にお母様は生を全うされたのね。
    ブログを読んでいて、大石君やご家族は精一杯の事をされていたし、きっとおお母様もお喜びだったと思うの。
    ご冥福を・・・。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    春なのに急に寒くなりましたね。
    会ったことがない母のことをいろいろ気にかけてくれて
    本当にありがとうございました。
    母は2~3年前から長い坂を下るように弱っていきましたが
    その節目、節目ごとにその前にできたことが、
    できなくなり、よい思い出を作ってあげようと考えても
    再びできないことが多く、後手に回ってしまい
    残念に思っています。
    仕方ないのだけれども-----。
    この短歌、西行法師なんですね。
    常に自然のなかに身を置いていると
    こういう死に方も可能なのかもしれません。
    ボクは草むらに横たわって、太陽の光をいっぱい浴び
    流れる雲を見ながら死ねたらいいなあと思ったことが
    ありました------。
    さて、また、頑張ってブログ書こう!

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