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今年になって新潮社より出版されている
小沢征爾、村上春樹「小沢征爾さんと音楽について話をする」を
OBオケでバイオリンをやっている妻が買ってきて読んでいるようですが
ボクがとても尊敬するとある建築家のブログにおいても
その本が取り上げられていました。
本ではバーンスタイン+グールド、カラヤン+グールドのレコードの
聞き比べによる議論が行われており
それをきっかけに建築家らしい建築に置き換えた感想を述べられており
とても面白かったので勝手ながら、
以下、ブログの原文のままご紹介します。

さて小沢はカラヤンとバーンスタインを聞き比べながら
カラヤンの決定的な特徴の一つを「長いフレーズのディレクション」だと言った。
それは細やかなアンサンブルを犠牲にしても長いフレーズの一本の線を
大事にすることだと言うのである。

これを読んでなんとなく小学生の頃の叔母のカラヤンへの無関心が思い出された。
長いフレーズのディレクションとは音楽の大きな構成要素のことであろう。
建築とパラフレーズすることもできる。
すなわち建築の大きな骨格、構成を大事にするということである。
エスキスの情景を思い浮かべるなら、スタッフがちまちま書いたスケッチの上に
ボスがマジックでバシッと一本(あるいは数本)の線を書いてしまうあれである。
僕もやられた。太い色鉛筆か4Bでバシッと数本の線を描かれた記憶がある。

あれはまさに全体を決める骨格のディレクション。
混乱したスケッチにあれは大事かつ有効な指導である。
特に学生に対してはそうだ。
しかしよく考えられたスケッチの上にあれをやってはいけない。
込められた様々な思いがバシッと飛散するからである。
構成や輪郭だけが優先されて局部に込められた熱がはじけ飛んでしまう。

カラヤンが軽いと言われるのはディレクションを優先させた建築同様、
曲の骨格や構成ばかりが勝ってしまい、
音の中に込められた無限の豊かさが犠牲にされているからなのでは?とふと思った。

以上、柳瀬さんが聞くとほくそ笑むような内容でした-----—-。

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