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きのうのお酒が残る中、きょうは11時より百道M PROJECTの施主が
現場に来られ打ち合わせ。

鉄骨のフレームが露出した現場にいると、ソリッドの持つ美しさを感じます。
でもこれを最終的には包んでいくことになるわけで。
構造の神野さんが来られた時に鉄骨造をそのまま表現することにおいての話の中、
建築家側からは鉄骨の全てを露出させたい気持ちがあったとしても、
住宅として24時間住まわれる施主側にとっては、余程のキャパシティーがある方でない限り
ハードできついという話があるということを聞きました。

確かにボクが設計したCITY CUBEも外観は鉄骨の柱も梁も全て隠さずあらわしですが、
内部は開口部だけ鉄骨をあらわしにしておりそれ以外は包んでいます。
自分の繊細な感性において全てをあらわしとするのは無骨過ぎて
良しとできなかったからですが-----—-。
あらわしにしておけば無骨であっても意志を感じるものとしてOKであるという論理は
自分には受け入れ難く、繊細な感性において無骨さを包む行為も建築的論理です。

ただケーススタディハウスなどを見るにつけ、スレンダーな肉体を何もまとわずにも
美しく見せることができるというのは、永遠の美学、究極の美しさ、
すっぴんでも美しい女性に通じるものがあります。
特に木造建築においては構造体を表現することにおいて鉄骨と違ってきつくなく、
昨日の柳瀬さんの住宅においてもその構造表現とカバー(包むこと)が
柳瀬さんの美学によってバランス良く調整されています。
美しく健康的で上品な空間として。

建築家は夢見るのであります!
すっぴんでも美しい女性のような建築はできないだろうか?と。

さらにもっと進んで骨格が美しいものを作りたいと考えるならば
スペインの天才構造デザインナーでアテネオリンピックのオリンピックスタジアムを
設計したカラトラバや内藤廣に行き着きます。
でも化粧も文化です。
建築の化粧を行うということには、クラシック建築におけるプロポーションの美学や
自然との接点としての表皮として様々な意味を持たせることなどもでき、
何とかイズムにおいて否定することがいいとは思いません。
結局、全てのあり方において、自分の信念に基づきそうでないものを否定することは、
あらゆる可能性を否定することになりかねず、これまで思われて来た
どんなつまらないものにも全ての可能性があると思います。
これは、建築に限らずアートにおいてもそうであり
その存在に対し常に注意深く見守る必要性があります。
何だか話がとりとめもなくすいません。

午前中の打ち合わせを終わり、フジヤマとともに熊本のH PROJECTの現場へ。


昨日より上棟を開始し無事立ち上がりました。
進入道路がH PROJECTの前でカーブしているためちょうど道路の正面に
建物が見えるようになっています。土地探しから含め、ここまでにたどり着くのに3年かかり
感慨深いものがあります。
竣工は3月の予定です。

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