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きのうのはなしの続きとして、世の中に建築家という職業が
あることを知ったのは、ボクが小学2年生の夏休み。
1964年、東京オリンピックが開催された年でした。
夏の暑い盛り、早朝のラジオ体操を終え
朝ごはんをTVの前のちゃぶ台で食べていた時のこと。
朝の8時ごろから毎日放送されていた木島則夫モーニングショーに
東京オリンピックでの水泳競技会場として設計された代々木体育館プールの
設計者として東京都庁舎を設計した丹下健三氏が黒のタキシードみたいな服を
着てスタジオで紹介されているのを見たのがきっかけでした。
その時、はじめて
建築家という職業が「かっこいい!」と思い
その時から、ずっと建築家になりたい!という夢を持ち続けてきました。

やがて、中学生になった1970年。
大阪で日本万国博覧会が催され、当時、黒川紀章氏が建築界の若き鬼才として
パビリオンをいくつも手掛けられているのを知り、
建築家に対しさらにあこがれを持ちました。
今から考えると、敗戦国日本がもう一度世界の仲間入りを果たすために
国の威信を賭けた国家的プロジェクトが次々と開催され、
公害という負の遺産もありましたが、社会全体に活気があった時代でした。
建築家にも建築にも明るい大きな夢がありました-----–。
今の建築家はそういう意味において、国の経済が縮小していく中、国家的プロジェクトもなく
大いなる野望を表現する場が限られ、恵まれていないかもしれません。
ただ、現実問題として公共において、これまで通りの箱物建築を
造り続けていく時代ではなくなったことは当然であって、
社会が本当に必要としているものは何かを考える時代になりました。

高校生になり、当時、高校には女子生徒が450人中80人くらいしかいなくて
選択科目で当然ながら美術を取った男子生徒は
女子生徒で美術を選択した人数が少なかったため、2年間男子クラスという
恵まれない環境での哀しい高校生活となりました。
3年生は、クラスが理系と文系に分かれるため、文系を選べば男女クラスになる
可能性が高いと推測したボクは、これまでの灰色の男クラ高校生活を
最後にバラ色にするためにも
むかしから憧れだった建築家になるための理系を止め文系を選ぶか
悩みに悩んだのでありました-----------。
アホだと思ってください-----—-。
若者はすべての物事に対し、同列の価値を見出すものなのです。

つづく

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