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以前、このブログでご紹介した毎日新聞、専門編集委員である
梅津 時比古さんのコラム”音のかなたへ”に今週掲載された記事をご紹介。

フランスの詩人、ロートレアモンが
「手術台の上でこうもり傘とミシンが出会ったように美しい」
と書いたのも、言語の一般性に固有の美がからめとられないようにするためだ。

ブラームスもそこで大きな苦闘をした作曲家であろう。
彼がひとつの創作に長時間を掛けたのはそれゆえにである。
ブラームスの場合、一般性に古典的様式を据えた。
45歳のときに書かれたバイオリン協奏曲ニ長調もそうだ。
固有性を極める旋律と音が、様式を得ることによって、
逸脱せずに理解されやすくなり、
様式が厳しく掘り込まれることによって、安易に堕していない。
バイオリンの個とオーケストラの交響が、相互に照らし合いながら一体となって、
深い響きを生んでいる。

それだけに、この曲が課題に指定された第77回日本音楽コンクールのバイオリン部門の
本選では、表現の一般性と固有性の桎梏に苦闘する
若い演奏家たちの姿が見られた。

それぞれ全力で自分の歌をぶつけていたが、
自らの固有性に専心すると、その個性は理解の場を失いがちになる。
一方で、様式を自分のものにしようとしている人には、
かえって固有の歌の定着が見られた。

1位になった瀧村依里には、端正な形と熱い思いの見事な融合を見ることができた。
たとえば、第2楽章で瀧村は自らの感性を十全に発露して歌いきっていたが、
同時にブラームスが吸えた古典的な構造をゆるがせにしなかったため、
その歌は彼女・個であるとともに、ブラームスの高い格調に同化し、
それが聴く者に素直に伝わる一般性をも得ていた。

以下省略。

これって、先日の大建築家になるためには、普遍性と過剰性が必要という
著名な建築史家のお言葉に符合するような気がします。
つまり、一般性を普遍性に、固有性を過剰性に置き換えると
建築にもつながっていくのではないかと思いました。

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