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今年高校3年になる次男は、映画学科を志望しており
今週末に行なわれる某大学のAO入試2次試験に短編映画が出題されるため
先週よりロマン・ポランスキーが1959年頃の学生時代に製作した
5分から20分くらいの数編の短編映画を観て
700字以内に感想をまとめる練習をしていました。
「タンスと二人の水夫」、「灯り」、「天使が失墜する時」など
ボクも見せてもらいました。
実は、ロマン・ポランスキーの短編映画は、20年前くらいに
福岡市美術館で行なわれた実験映画祭で一度観ており
とてもシュールで今回のためにDVDをアマゾンで購入したものです。
今週は2002年に製作された10ミニッツ・オールダーを借りてきたので
観させてもらいました。
10ミニッツ・オールダーは、ジャン=ジャック・ゴダール、ベルナルド・ベルトリッチ、
ヴィム・ヴェンダース、アキ・カウリスキ、チェン・カイコーなど
15人の巨匠と言われる監督たちが時間をテーマに10分間の短編映画として
オムニバスでまとめたものです。

10分間という限られた時間において「時」について表現することは
テーマが最初から与えられているが故に難しくないようにも考えられるのですが
ストーリーとして構成しようとすると10分では難しいかもしれません。
断片によって表現したり、哲学的に表現したり、各監督の表現方法は様々です。

これを観ながら、現在進めているプロトタイプ住宅について考えてみました。
プロトタイプ住宅は基本的にローコストでなければ販売につながりません。
したがって、まず、スモールハウスであることが前提となってきます。
スモールハウスとなればやれることが限られる為か、
会社側からもテーマが与えられ、外観重視のデザインが求められています。
先ほどの短編映画と比較するならば、断片による表現と言っていいのか。
当然ながら、このような住宅において建築家による哲学的表現など
理解できないものが売れる筈も無く、映像表現と違い、
あくまで現実的対応が求められます。

その中で、自分らしさをどのように出すのか難しいところですが
ボクは、たとえスモールハウスであっても、
短編映画でストーリー性を持たせるように
骨格と構成と機能と表現を一体化したいと考えています。
つまり、表現は骨格と構成の表現となっており、機能は構成の一部であり
プランは、ある程度の制約(型)において自由であるということ。

よく言われるように内部はスケルトン状態で、完全な自由プランが可能というものは
完全な自由の裏返しが絶対的孤独と同じように、
どのように描けば良いのかなんの指針もない難しさを伴うものであり、
自由というのはある程度の束縛があってこそ自由であるという考え方に基くと、
決められた枠組みである型があり
その中での自由度を求めた方がわかりやすいと思いました。

では、きわめて限られた制約のなかにおいて、
果たしてそのような選択肢がこれまで出ていないものとしてあるのか?
不安と自己問答を繰り返しながら考えています。

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