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三重苦の飛行旅

 

6月9日、午前7時20分 福岡発に乗るのに4時に起床。

12時ごろに寝た為、睡眠時間が4時間程度でとても眠く出発。

成田で乗り換えるシカゴ行き飛行機はなんと満席!

(後からわかったのですがシカゴで年1回開かれているインテリアの見本市と重なったようで)

我々夫婦は横に並べず、前後席に、また座席は3列シートの中央という、

12時間の飛行時間、会話もできず、身動きできず、眠れずの3重苦の飛行旅はキツイ!

成田を朝の9時50分に出発、シカゴへ朝の8時50分に到着。

ほとんど一睡もできないまま空港内にあるヒルトンホテルで宿泊予約の確認を行い、荷物を預け

11時に正面玄関に来てもらうことになっているチャーター車を待ちました。

 

絶不調の妻

 

妻の調子が悪く、機内で何度か嘔吐したらしく「ゾンビ―ノ知子」という感じ。

ボクも睡眠不足で胃の調子が良くありません。

ヒルトンのロビーで待つことすら気持ち悪いらしく、ホテルの外でしばらく待つと

予定通り日本人ドライバーのチャーター車が来ました。

ドライバーの宮下さんはシカゴ在住14年ということでアメリカには24年間住んでいるそうです。

氏の説明によれば、シカゴの人口は約280万人、全米では3番目に大きな街で

1番がニューヨーク、2番がロサンゼルスとのこと。

シカゴは元々、ドイツ系移民が造った街だそうで、

そう言えば、これから行く建物の設計者であるミース・ファンデル・ローエが

ドイツから亡命して来たのがここであり、ここのイリノイ工科大学の建築学科教授として招聘されています。

ドイツ人脈としての何らかのつながりがあったのかもしれません。

 

車は空港からすぐに高速道路に乗り、西に向かって走り出しました。

車線は片側で4車線もあり走っている車は、ほとんどが日本車か韓国車でドイツ車などあまり走っておらず、

また、どれも実用車ばかりで高級車などは少ししか走っていません。

宮下さんによればアメリカでは車がないと子供の送り迎えもできず一家に一台ではなく、一人一台という社会だと。

アメリカ人とって日本車と韓国車の性能差はもう感じないらしく、

日本車より安い韓国車に人気がありそのうち日本は車でも韓国に抜かれる可能性が高いと言われていました。

 

道中、いろいろなお話を伺いながらの走り去る外の景色は、まわりには何もなく

遠くの山並みも見えず、単調な整備されていない自然が延々と続きます。

(夫婦そろって体調が良くなく、レンタカーでなく良かったと安堵)

再び車内で気持ちが悪くなった妻に対して途中、高速から降りガソリンスタンドよってもらい休憩、

(高速を下り、別荘までの風景)

 

事前の天気予報でシカゴは100%雨だったのですが奇跡的にも晴れ間が拡がり好運でした。

空港から1時間半近くかかって予約時間である午後1時の30分前に到着。

(回りは何もなくただこの看板がポツリと)

 

ファンズワース邸(1951年)

 

(これがファンズワース邸?—-ではなく受付です)

 

ファンズワース邸の受付センターで予約番号を見せ、午後1時よりセンター内で

スライドを通し概要の説明(もちろん英語)が15分ほどあり、ガイドに従い外へ

 

ファンズワース邸はミース・ファンデル・ローエによる設計で1950年にファンズワース女史の別荘として建てられた住宅

彼女はこの土地の環境を気に入り以前から所有しており、特別な関係にあったミースに、週末別荘としての設計を依頼。

当初建設予算が4万5千ドルであったのに対し、完成時に7万5千ドルに跳ね上がり訴訟となりました。

(結果的にミース勝訴)

(今でいうと例えば4千万の予算だったのに6千700万円の請求がくれば当然ながらトラブルになり、設計者側が負ける可能性もあり、ミースはよく勝訴したと思います)

 

敷地のすぐ横を川が流れており、度々この川の氾濫もあり湿地帯のような場所でかなりリスクのある環境です。

 

 

緑の中に舞い降りたような純粋幾何学のこの建物は素晴らしく美しい!

まさしくここは20世紀モダニズムを代表する住宅の聖地です!!

(このガイドの説明が3倍速ぐらい速くした英語で全くわかりませんでした。一緒にいるスペインから来た建築家の若い女性二人もワカラナーイ!と両手を拡げていましたが、心の中で、このヤロウ!日本に来たら日本語の早口言葉で復讐してやるぞ!—-と思う—–)

(アプローチとは反対側の北側立面)

 

この住宅は、グランドレベルから浮いている軽やかさが素晴らしいのですが、これは川の氾濫を考慮した現実的対応の結果で恣意的なものではありません。

室内の床はグランドから約1.6m浮いており、柱のスパン(間隔)は約6.7m、建物の長さが6.7m×3スパン+1.67×2=23.44m、奥行き約8.8m、室内の広さは147.3㎡(44.5坪)、天井高さ約2.9m、建物を水平方向にのびやかに演出している上下の白いC型鋼の梁成(高さ)はともには38cm。

 

 

(軒下の中間領域としての外部スペースがゆったりとしており気持ちいい!また、1.6mの高さへ上がるためにワンクッションとして建物と同じ長さの巨大な踊り場を設けられておりこの部分の段違いのずれたラインによって建物の水平ラインがさらに強調されています)

 

C型鋼の梁はH型鋼の柱の横腹で受けており、柱、梁が明快に切り離され表現されています。

また、ボクなり細かい部分として気付いたことはH型鋼の上端を梁の上部に合わせずに少し下げているというところです。

何故か?——建物をグランドレベルでの人の目線高さで離れて見た場合、上端を揃えてしまうとH型鋼の上端が梁天端より出て見えてしまう為、少し下げているのです。

また上の写真の外部軒天は外周部を回っているC型鋼より目透かし目地を取って少し下げてあり、雨水が軒天部分に回らないような細やかな工夫がされてあります。

建物は全周ガラス張りでキッチンや浴室の換気用の穴はどうしているかと言えば、実は内部のコアから屋根上部に外から見てもほとんど見えない状態で立ち上がりが取られそれに箱を被せて回り込むような給排気システムで対応されています。

雨水、排水はコア部より直下にまとめてグランドレベルへ下ろされていますがほとんど目立ちません。

 

 

 

内部はもちろん入れましたが、日曜日の場合、午後3時以降での内部写真撮影が許可のため、残念ながら内観の写真がありません。

(外部のデッキ側からの内観撮影はOK)

内部はもっと人工的に感じるのではと思っていたところ、天井までのガラスによる開放感は、外部環境との関係性において樹木の存在が大きく、とても気持ち良く外部とのつながりを感じさせる空間でした。

 

プランはキッチン、二つのサニタリー(バス、洗面、トイレ)、機械室がコアにまとめられ、コアによってダイニング、リビング、ベッドルームスペースが連続的に繋がりながら領域として分けられています。

 

天井には一切照明がなく、たぶんフロアスタンドで対応するようになっており、したがって壁にスイッチもありません(コア内にはアリ)床上にほとんど目立たない状態で各所にフロアコンセントが設置されています。

 

外周部のガラスは東側を除きFIX(はめ殺し)で寝室ゾーンとなっている東面の1/3中央部が唯一通風用としての開閉式窓になっています。

 

 

外部に続き内部のディテールも徹底しておりガラスの結露に対しても床のトラバーチンより窓側床面が少し下がっており(外部ポーチ回りの写真を見ると床面が外周を回っているC型鋼より少し上げられていることがわかります)

 

コア内にはクローゼットがなく、女史がミースへ服の収納が何故ないのか質したところ必要なのかという返答だったようでやむを得ず自立式の衣装ケースを置いたそうですが、それはミースの意志に反する為建物から取り除かれているそうです。

たぶんミースは週末住宅ということもあってか生活をミニマム化するとともに建物の外観、内観のディテールを徹底的に詰め、この住宅を芸術の領域まで高めたかったのだろうと思います。そうした一貫した妥協をしない姿勢が凄い迫力で迫ってくる住宅です。我々が日々研鑽を積みながら行ってきたことが1950年に全てというかそれ以上にすでに行われており愕然とします。

 

この建物を30分みるためだけに一日を割くという一般のツアー客の方々にはもったいないと思われるかもしれませんが、ボク自身は本当に行って良かったと思いました——-我が旅に悔いはなし!!

 

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