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高宮の住宅が本日上棟しました。
(写真はクライアントのご希望で非公開となっています)
この住宅が建つ通りは、ボクが小学生の時に西高宮小への通学路として
よく通っていた道です。
もう何十年も前のことですが、その時に将来、ここに住宅を設計することなど
全く感じませんでした。
通常、既視感とは初めて来る場所、初めて見る物なのに、
すでに前に 体験したかのように感じることと言われていますが
未来になんらか関わってくることに対する既視感もあるのでは思います。

最近、福岡に長く住んでいると昔、よく通っていた道沿いの敷地に
住宅を設計することが増えたと感じます。

1、ボクが生まれたのは西新2丁目、ちょうど西南の法科大学院の東側の
  樋井川に挟まれた土地にあった父の会社の社宅でした。
  そのすぐ近くに地域の集会所が建っており、
  この集会所の建て替えの設計(MOMOCHI ASSEMBLY HALL)を
  中学・高校の同級生からの紹介で行いました。

その後、父の転勤で熊本市の上通り商店街近くに3年ほど住んだ後
薬院の白金の借り上げ社宅に引っ越しました。
6歳の時に南高宮に父の会社が3階建てのアパートを建て
できたばかりのその社宅に移り住みました。
そこから西高宮小へ子供の足では30分ほどかかって4年生まで通学しましたが
とてもいい思い出ばかりが残る時代でした。

2、この時代の通学路に面し今回上棟した住宅を含め2件の住宅があります。

当時、西高宮小の北側の正門に入る沿道の両脇には桜並木があり
新入生が入る4月になると満開となり晴れやかな雰囲気がとても好きでした。
運動場側の道路はレベルが高くなっており、
反対側にある貯水池からは正門の沿道の片脇にある小さな水路に
池からの水が流れていました。
そこでは帰り際に友達と葉っぱを浮かべ競争したりして随分と遊びました。
今はコンクリートの校舎となり水路もなくなり殺伐としていますが
当時はとても趣のある学校だったと思います。
その後4年生の2学期より今度は父の北九州への転勤に伴い
小倉南区の競馬場がある北方というところへ引っ越しました。

3.6年生になり再び高宮へ戻りましたが、
  中学は百道中学に高宮から通学。毎日、西鉄電車で天神で降り
  市内電車に乗り換え早良口という停留所で降り、
  金屑川沿いを海に向かって歩き通学していました。
  冬の福岡は玄界灘から吹き付ける風がすさまじく
  息ができないほどでしたが、
  朝の強い風は眠気を吹き飛ばしてくれていました。
  その通学路沿いに1件。

4、大学生になり定期的に開催していた中学のクラス同窓会に
  なかなか出席がない女子の実家に友人と訪問。
  彼女は不在でお母さんが出てこられ同窓会への出席のお願いを伝えましたが、
  まさかそれから彼女と結婚し25年後に
  自宅となるCITY CUBEをそこに建てるなど
  なにも感じませんでした。

5、結婚をし共働きで子供の送り迎えを夫婦でしているなか
  保育園の手前の角地に
  一匹の雑種犬がつながれている古い木造住宅がありました。
  その角地にそれから7年後にCross Wall Residenceを設計することも
  全く予知できませんでした。

未来は現在の選択の結果により常に変化していながら
それぞれの人には決められた運命があるとも言われることがあります。

未来において自分と関わってくる場所の前を通りながら6件とも
なにも感じていないということはボクが未来に対し鈍感なのか?

それとも未来は常に動いており、現在と過去がなんらかの縁によって
つながっているということでしょうか?

  

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