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今年の10月頃の飲み会においていろいろと話しているなか
大学の同期のI氏がいまだに一度も伊勢神宮に行ったことがないということを聞き、
酒の勢いもあってか、過去何度もお参りに行っている経験から
ぜひ、一緒に行こう!ということになっていました-----—。

11月に入り、ちょうど大阪に行く機会もあるため、伊勢神宮に行くことを
しつこく誘ってみました。(酒の上での話とは言え、こちらは言った以上
行動を起こす責任があると思っていました。
酒のうえでの話はバカにできないもので
台湾建築ツアーを行うきっかけも柳瀬氏の還暦パーティー二次会での話で
その時はほんとに実現するとは考えていませんでしたが、
平安氏が俄然本気で
平安氏の熱意で実現することになるのですから、わからないものです------)

I氏も当初、なんだかんだ行けないような理由をつけていましたが
そちらが行けなくてもこちらは行くつもりなので
行けなくなっても気にしなくていいと伝えると
却って気が楽になったのか、ぎりぎりで行くことになりました。

ボクはUSJを観た25日、妻と新大阪駅で別れ、
待ち合わせ場所の名古屋へ向かいました。

ホテルに先に入り、
かれは仕事をぎりぎりまでして福岡空港20時発名古屋小牧空港行最終便に
乗るのに19時20分に地下鉄に飛び乗ったというメールが届いた時は
「やっぱ—無理かも—-」と思わず思いましたが------。
なんとか22時20分にホテルに到着。
なにも食べていないということであらかじめ調べていた近くの居酒屋で
お酒を飲みながら閉店までいました。

翌日、9時10分発賢島行近鉄特急に乗り、1時間20分後に伊勢市駅に到着。
駅から伊勢神宮の外宮までは歩いて行ける距離で、まずは通常の行き方通り
外宮から先にお参りしました。
前日降った雨が上がり、ときおり青空も覗き
参道は神聖な雰囲気のなか雨によって濡れた豆砂利によって
歩む音が響きます。


(内宮の参道)

ボクは20年前に独立してからこの伊勢神宮に今回で4回目ぐらいで
たぶん5年周期で来ているのではないでしょうか。
なぜ行くのか?と言えば、
自分の生き方や仕事の仕方など人は常にずっと同じことをやり続けていては
難しくなってくる時期があるのだと思います。
それがボクにとっては5年が節目と捉えており
伊勢神宮に行くことによりこれまでの感謝としてお礼をするとともに
新たな自分として気持ちを切り替えることにつながると思っています。

次に外宮を出て前のバス停よりバスに乗り、内宮に向かいました。

伊勢神宮には、日本人として響くなにかがここにあり
子供を早い段階で連れてきて
日本人の精神性の奥底に焼き付けさせた方がいいとか
また、来年の伊勢・志摩サミットを機会に自然に対する日本人としての価値観を
世界に対しアピールできるいい場所になるとか
西洋の永遠性に対し、20年おきに作り替え続けるという日本的永遠性などなど
二人でいろいろと語りながら歩きました。


(この伊勢神宮にあるお宮のシンプルな美しさにはいつも感動します。)

内宮の参拝が終わり、外の参道上に多くの茶店があり
ボクはかならずそこで伊勢うどんを食べてから帰るため彼にも勧めました。
二人で行くと面白いもので冒険心が出て、
いつもは行かない奥までをぶらぶらと歩いてみることにしました。

するとおかげ横丁という横に入った路地沿いに伊勢うどんを食べさせるお店があり
そこの露台に座り、内宮で購入した御神酒を飲みながら
とてもベーシックでおいしい伊勢うどんを食べました。

この露台での1時間ほどのつかの間のひとときはとても気持ちよく
囲まれたなかでの人が集まる適度な広さと上部のおおいによって
居心地の良い場所がしつらえてあり、空間の捉え方としてとても参考になりました。

再び駅に戻り14時54分発名古屋行近鉄特急に乗り、
名古屋駅前の空港行バスに乗り換え17時に名古屋小牧空港に到着。
18時発福岡行のフジドリームエアラインに乗り、21時近くに帰宅。
かれは事務所に向かい、その後仕事ということらしくさすが!

2015.11.25

連休明けのUSJ

連休後の24,25日、妻の休みが取れる日程に合わせ、
夫婦二人で大阪のユニバーサルスタジオジャパンに行って来ました。

24年前に家族とディズニーランドに初めて行った際
母から父が末期がんであるとの連絡が入り,
ディズニーのかわいい人形たちが唄う「It’s a small world」の曲が
空しく響き、つらい思い出となってしまいました。

それからというもの、常にあの曲が頭の中を寂しげに鳴り響き
ディズニーランドにはなかなか行けませんでした。

今年3月に母が他界し、
妻の母も介護付き老人ホームに移り比較的元気なことから
新たにハリーボッターのアトラクションが加わり人気が出てきた
大阪のUSJに二人で行くことにしました。
妻は、子供たちとはディズニーやUSJにも行っていましたが
ハリーボッターは初めてのため僕に付き合ってくれることになりました。
60才近い夫婦連れでUSJとは?と思われるかもしれませんが
映画が好きな自分にとって、USJのヒット作の面白さをもっと深く味わえると
勘違いして行ったのでした-----–。
それは完全な勘違いでUSJは単なるアトラクションだけの施設で
我々の世代が行くような場所(少なくともボクには)ではなく、
学生の時に友達と行くのが楽しく思えるところではないでしょうか。

また、ウォルトディズニーの思想が根幹に明確にあるディズニーランドと
思想がない(または感じられない)USJとは大きな差があると感じました。
そういう意味においては、初期のハウステンボスは明確な思想があり
大型のアミューズメントパークにおける思想の必要性を改めて感じました。
したがって思想なきUSJはすべてが虚構であるとともに
どうしても虚構のいやらしさを感じてしまうのでした。
僕自身はいまだアメリカに行ったことがなく(ハワイやサイパンはありますが)
1920年代にアメリカで展開したアールデコ様式には興味があり、
実物を見ていないので何とも言えませんが、
このUSJでは正面のエントランスから施設内のいたるところで
建物がアールデコ様式で造られており、それが安っぽく見えるのは
実際もそうなのかよくわからなくなりました。
ただ、それでもハリーボッターの虚構性は本格的で建築的に見ても
ゴシック的空間としての巨大な虚構性に圧倒されるほどであり
その創造力は高く評価していいと思います。

ハリーボッターの最後の乗り物は、めまいがするような動きで
我々夫婦とも乗り物酔いでしばらく動けないほどでした。
みなさんくれぐれもご注意を!
なおこのアトラクションに乗るには平日の待ち時間が190分という
とんでもない人気で、我々は事前に待ち時間が短縮できる
エキスプレスパスという予約をしてほとんど待たずに乗ったのですが------。

11月なのに最近は比較的暖かい日が続いていますが
たまに少し寒くなった時など、西新にあるそば屋さんで「みすず庵」のカレー丼が
急に食べたくなります。

和風だしの効いたあんかけにカレー粉がまぶしてあり、
長ねぎと玉ねぎ、鶏肉が入っており
少しばかりさくっという天かすも入っています。
ごはんが見えないくらいたっぷりとかかった餡の上に生たまごがのせられ
それをくずしあんとかき混ぜながら木製のスプーンでいただきます。

カレーのぴりっとした辛みとなかなか冷めないあんにより
体中があったかくなり額にうっすらと汗が浮かんできます。

(写真はたまごをくずしてしまっています)

みすず庵には、ほかのそば屋にはないものとして
以前このブログで紹介しましたが丸天そばがあります。
ざるそばの上に揚げたばかりの丸天を四つ切にしたものが乗っています。
天ぷらそばだとかなり高くなりますが
丸天そばであれば650円で天ぷらそばの気分が安上がりで味わえます!
きわめて小市民的な喜びが沸き上がってくること間違いありません!

また、ダイエットをしている人であれば、
ざるそばのヘルシーさと少しばかりの油ものの組み合わせは
ありがたいのではないでしょうか?

高宮の住宅が本日上棟しました。
(写真はクライアントのご希望で非公開となっています)
この住宅が建つ通りは、ボクが小学生の時に西高宮小への通学路として
よく通っていた道です。
もう何十年も前のことですが、その時に将来、ここに住宅を設計することなど
全く感じませんでした。
通常、既視感とは初めて来る場所、初めて見る物なのに、
すでに前に 体験したかのように感じることと言われていますが
未来になんらか関わってくることに対する既視感もあるのでは思います。

最近、福岡に長く住んでいると昔、よく通っていた道沿いの敷地に
住宅を設計することが増えたと感じます。

1、ボクが生まれたのは西新2丁目、ちょうど西南の法科大学院の東側の
  樋井川に挟まれた土地にあった父の会社の社宅でした。
  そのすぐ近くに地域の集会所が建っており、
  この集会所の建て替えの設計(MOMOCHI ASSEMBLY HALL)を
  中学・高校の同級生からの紹介で行いました。

その後、父の転勤で熊本市の上通り商店街近くに3年ほど住んだ後
薬院の白金の借り上げ社宅に引っ越しました。
6歳の時に南高宮に父の会社が3階建てのアパートを建て
できたばかりのその社宅に移り住みました。
そこから西高宮小へ子供の足では30分ほどかかって4年生まで通学しましたが
とてもいい思い出ばかりが残る時代でした。

2、この時代の通学路に面し今回上棟した住宅を含め2件の住宅があります。

当時、西高宮小の北側の正門に入る沿道の両脇には桜並木があり
新入生が入る4月になると満開となり晴れやかな雰囲気がとても好きでした。
運動場側の道路はレベルが高くなっており、
反対側にある貯水池からは正門の沿道の片脇にある小さな水路に
池からの水が流れていました。
そこでは帰り際に友達と葉っぱを浮かべ競争したりして随分と遊びました。
今はコンクリートの校舎となり水路もなくなり殺伐としていますが
当時はとても趣のある学校だったと思います。
その後4年生の2学期より今度は父の北九州への転勤に伴い
小倉南区の競馬場がある北方というところへ引っ越しました。

3.6年生になり再び高宮へ戻りましたが、
  中学は百道中学に高宮から通学。毎日、西鉄電車で天神で降り
  市内電車に乗り換え早良口という停留所で降り、
  金屑川沿いを海に向かって歩き通学していました。
  冬の福岡は玄界灘から吹き付ける風がすさまじく
  息ができないほどでしたが、
  朝の強い風は眠気を吹き飛ばしてくれていました。
  その通学路沿いに1件。

4、大学生になり定期的に開催していた中学のクラス同窓会に
  なかなか出席がない女子の実家に友人と訪問。
  彼女は不在でお母さんが出てこられ同窓会への出席のお願いを伝えましたが、
  まさかそれから彼女と結婚し25年後に
  自宅となるCITY CUBEをそこに建てるなど
  なにも感じませんでした。

5、結婚をし共働きで子供の送り迎えを夫婦でしているなか
  保育園の手前の角地に
  一匹の雑種犬がつながれている古い木造住宅がありました。
  その角地にそれから7年後にCross Wall Residenceを設計することも
  全く予知できませんでした。

未来は現在の選択の結果により常に変化していながら
それぞれの人には決められた運命があるとも言われることがあります。

未来において自分と関わってくる場所の前を通りながら6件とも
なにも感じていないということはボクが未来に対し鈍感なのか?

それとも未来は常に動いており、現在と過去がなんらかの縁によって
つながっているということでしょうか?

  

今年三月末に母が亡くなり、葬儀に出席できない母の知人から
2~3日ほど経ってきれいな胡蝶蘭を戴きました。

これまで胡蝶蘭といえば、病院の設計で関わった際、竣工後のお祝いとして
開業されたドクターのお知り合いから多数の胡蝶蘭を見るにつけ、
建物内での置き場にも困りいささか閉口したものですが
自宅の仮の仏壇の横に置いてみると
改めて美しいものだと感じ入りました。
しかもいつまでも枯れずに美しく咲き続け、7月ごろまで咲いていました。
改めて強い生命力を感じるとともに
仏前に添えるにはとてもいい花だと思います。
(まるで亡くなった母が乗り移っているようで-----)

そんな胡蝶蘭がさすがに7月後半にはすべての花が落ちてしまい
また、来年咲くかもしれないと思いつつ鉢に水を遣っていると
2週間後から別方向に芽が出てきてみるみるうちに
新たなたくさんの花が咲きました。

そしてまた3か月経った今も咲き続けています。