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毎日新聞朝刊に3月より連載が始まった平野啓一郎による「マチネの終わりに」を
読ませてもらっていますが、このなかで興味深い文章がありました。

通常、過去は我々の記憶のなかで変わらないものとして捉えがちです。
それは様々な関係性のなかで成立している思い出であり印象であり考えです。
未来における出来事により関係性の捉え方が変われば過去における
何かが変わることになるというのは確かにそうだろうと思います。

クラッシクギターリストの主人公の言葉をご紹介

「前略—展開を通じて、そうかあの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。
そうすると、そのテーマは、最初と同じようには聞こえない。
花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、
もう同じ蕾じゃない。音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、
絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。そういうことが理解できなければ、
フーガなんて形式の面白さは、さっぱりわからないですから。」

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。
だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、
変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

さてフーガのような建築ってどうでしょうか?

文学的捉え方以外につい建築と関連付けて考えてしまいます-----。

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