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昨年、熊本の御領町に竣工したLIGHT THROUGH HOUSEの1年検査に行きました。

1方向にくりぬかれた高低差のある4つの箱を同じ方向でずらしながら
南北の光をthroughさせることにより内部空間における光の入り方を抽象的なものとして
捉えることを目指した住宅です。

内部空間における壁の存在は、4つのグループに属する構造壁によるもので
外壁と同色のホワイトとグレーの2色の色彩が施されています。
また、2つのグループのずれの間に通路が取られ、通路にはずれによって生じた
南側開口部より光が射し込み、浮かされた段板の隙間を通し光が1階へと落ちます。

南側の中2階にはご主人の趣味のためのDJスペースを設置。
リビングより専用階段を使い回遊できるようになっています。

右上がDJスペース、正面奥には2つの子供室、上部は通路奥にサニタリー
2階通路の床はH鋼で木根太を受けその上に半透明のポリカボネート板を
敷いています。またそこに面したサニタリー入口、トイレ扉、収納扉を一体化したもの
として見せるために壁仕上げに建具と同材のフラッシュパネルを使用。
扉の金物を隠し丁番にしてプレーンな壁として見せています。
H鋼の上の手すりは穴明けしたアングル材を壁の両端に
吹抜けから見えない位置に設置し
日曜大工の店で購入した3mmφのステンレスワイヤーを
これもお店で購入したターンバックルで引っ張っています。

中2階のDJスペースを使い2階通路にさらに半階上がります。正面奥はエントランスで
最初の箱のなかに含めることにより
敷地高低差を1階の内部階段によって解消しています。

2階サニタリー

きょうは第5回建築勉強会にスタッフのマツオさんとともに出席。

今回のプレゼンターはH2architectの蓮子龍美氏。
蓮子さんは松山将勝さんと組織設計事務所の元同僚で
8年間の在籍後、10年前に独立されており、
16年間組織設計事務所に在籍後、独立したボクと似たような境遇のため
興味を持って聞かせてもらいました。

聴きながら感じたことは、建築家になろうとする人にとって
最初に入る設計事務所の影響は非常に大きいということ。
個性を打ち出しているアトリエ系と組織系設計事務所では大きな差があり
そこに最初に入ることにより将来的な方向性が決まってくる
と言っても過言ではありません。

どちらの場合でも各人がそのメリットとデメリットを背負いながら
独立後、自分というアイデンティティを獲得していく必要があります。

一方(アトリエ系)では設計の考え方、哲学、個性を持った師という存在があり
もう一方(組織系)ではクライアントに対する適切な解答を導き出すための
会社としての方向性があります。

ボクの場合、組織系が16年間と長かったこともあり
独立してアトリエ系として生きていこうと思った以上、
アトリエ系と違い、師と仰ぐ存在に出会わないまま仕事をしてきた
これまでの全ての垢を落として
まっさらな体になりたいと強く思うとともに
自分が気付かない昔ながらの考え方やプランニングのくせやデザインによって
作業が進められているのではないかという恐れに対して
優秀なスタッフの力を借りて変わらなければという強い欲求がありました。

蓮子さんの場合、そのような強迫観念は強く持っておられませんが
時系列に並べられた4つの作品を俯瞰すると
前半が組織系で後半がアトリエ系へと作品そのものが変化しているように思いました。

最初の2作品は建築が平面的な区分けだけのように感じさせる(組織系?)もので
区分けされたスペース間の関係性を読み解き、
空間が統合されたデザインとして意識されていない印象を持ち、
開口部の扱い方が一般的なはめ込みになっています。
それは3番目の作品まで続きますが
3番目からはプランニングの方法論における試行錯誤としての認識がなされ
設計アプローチに変化を感じます。
そして、最後の4番目でクライアントの要望である100%の家相を逆手に取った
統合されたデザインによって個性が獲得されているように感じました。

全体として常にクライアントの意向重視が蓮子さんの優しさでもあると思いますが
アトリエ系を目指すのであれば、建築の在り方を追求する場合
心を鬼にして優しさを封印しなければならないことがあります。
それは結果的に自分の個性を選んで頂いたクライアントの期待に応えることにもなります。

自分というものを大器晩成の流れで次第に出してこられる事を期待しています。

今月の15日に上棟した大刀洗 T PROJECTの現場打ち合わせに担当のスミくんと
行って来ました。

上棟時に2階に上がってみると十字型中央部の梁の組み方が図面と全く違っており、
プレカット図面の段階で十字部分は現場手加工で確認のうえ
組みますということだったのが、たぶん段取り上設計事務所に確認する時間がなく
大工さんと現場監督との相談で造られたようで-----–
上棟を喜ばれている施主の手前、口元を引きつらせながらその場では黙っていました。

アトリエに戻り、翌日、担当者に猛アピール!!
違う!違う!そうじゃない!
上の屋根はルーフイングも敷かれており
一体どのようにしてやり替えるのかと思っていたところ
受け材の梁ラインを示す糸を貼り、梁の組み方を大工さんと相談
変更できますとのことでした。

この部分は設計段階でとても検討したところで
ボクが考えた組み方がベストと思い、きょう打ち合わせに行ってみると—-
やられたあ!!ボクの案以上にうまく梁組が架け替えられていました。

4方向の天井のうち3つの勾配天井が中央部に下がってきて中心でぶつかるデザイン。
2階スペースは十字方向に拡がります。

左側がリビング、手前がキッチンと一体になったダイニング、奥が主寝室、
右側が東に突き出た階段スペース。

このパースは初期段階のもので最終案では左奥にある主寝室とは壁仕切上部が
FIXガラスになって天井の拡がりを感じることができます。

施主からこの住宅にもコンセプチャルな名前をつけたいと言われ
その場で即答!そりゃー「CROSS」でしょ!!

KBCシネマで上映されている「みんなのアムステルダム国立美術館へ」を
妻から一緒に観に行かないかと誘われ
月曜日の午後4時からでは無理だと断っていたところ、
21時からのレイトジョーに変更になっており
夫婦だと二人で2200円と安くなるらしく、急遽行くことに。

この映画、アムステルダム国立美術館の増改築を巡る、ドキュメンタリー映画で
コンペを勝ち取った建築家、展示及び内装を手掛けるデザイナー、
美術館館長、ディレクター、東洋美術担当学芸員、修復係、広報係、
市民団体(特にサイクリスト)、行政側の審査機関たちなど
建設のために閉館してから再オープンに漕ぎ着けるまでの
10年に及ぶかれらのディスカッションによる戦いの記録となっています。

カメラが回っているにも関わらず、自己主張と皮肉の応酬は
観ていると彼らが実在の人達ではなく、ドラマの中の役者と勘違いしてしまうほど
映画としてのリアリティを伴った面白さがあります。

もともとの国立美術館を2分するように内部を横断しているサイクリング道路の扱いを巡り
これまで通行してきた権利を叫ぶ、
市民団体として一歩も引かないサイクリストたちの主張により
増改築の工事は作業を中断したまま、どんどん遅れて行きます。

建築家は民主主義は悪だと叫び、
館長は精神的に困憊した結果、工事の遅れの責任を取って退任
新館長との新たな市民団体とのバトル

市民に開かれた民主的な方法による建設というものがいかに大変なことか
同じように建築を造っているものとして非常に興味深い映画でした。

上映の待ち時間にNKSアーキテクツの末廣さんから声を掛けられびっくり。
箱崎の大学からイギリス製の折りたたみ自転車で駆け付けられたようで
映画が始まる前に留学経験に基づかれたオランダ人気質について
少しだけお話を伺うことができました。

きょう日曜日、朝刊1面に大きく湯川さん殺害の見出し。
安倍首相の中東訪問がきっかけとなって起きた
イスラム国による日本人2名の人質殺害脅迫事件は72時間の猶予を経て
人質1名が殺害されるという残虐で悲劇的な結果を招きながら
事態はヨルダン国に拘束されている自爆テロの女性死刑囚との交換要求へと転回。

そもそも、イスラム国というモンスター過激派が生まれたのは
イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っているという情報に基づく
アメリカのイラク進攻がきっかけであり、日本政府はそれを支持しており
今回の安倍首相による中東訪問での2億ドル援助が軍事的なものではなく
難民救済などに使われるものだと強調しても
本来、混乱の状況を作り出したのはアメリカとその同盟諸国であり
アメリカに常に追随している日本が
中東の人々から従属国としての責任を問われても仕方ありません。

二人の拘束は安倍首相の中東訪問前から把握されていたのであれば
政府は事前にあらゆる想定を考慮に入れていたのでしょうか。
もし入れていたのであれば訪問国での発言においてもっと微妙な言い回し
(対イスラム国対策費としての2億ドル援助について)も可能であったような気がします。
訪問時の発言は結果的に相手に対して口実を与えるきっかけになっており
外務省も含めどのような配慮がされていたのか疑問に思います。

拘束されているフリージャーナリストの後藤氏は人道活動家として活動されており
善意で行っている行動を国家が規制することは難しく、
紛争地域への危険な取材はあらゆる事態に巻き込まれることを想定した上での
自己責任が求められることは当然ですが
人質となって国家を巻き込んだ国際問題にまで発展すると
本人だけの問題では済まされなくなり
個人の自己責任問題として無視することができなくなります。

本来、自己責任は我々の日々の生活においても求められているものであり
大人としての自己責任、社会に対する自己責任など多々ありますが
自己責任とは自分で解決できることに対する責任であって
自分で解決できないのであればそれは自己責任とは呼べません。
自分が取った責任を利用されるような国際情勢のなかで
個人の責任論など全く無力であり
自分で解決できないような事態を招いた本人の責任は大きく
今後、どのような展開になったとしても
現実を受け入れるしかありません。

ただ、この問題の本質として国家責任があるのも事実であり
国は解放に向け、全力を注ぐべきです。

これまでイスラム国に拘束されている人質のなかで殺害されているのは
アメリカとイギリス人であり、他に戦闘に直接参加している国々があるにも関わらず
戦闘に参加していない国である日本人が
何故、殺害されなければならないのか理不尽に思います。

せめて後藤さんだけでもヨルダン政府の尽力で解放されることを祈るばかりです。