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台湾大学を後にして昼食まで少し時間があるので
日本統治時代の台湾総督府(現台湾国会議事堂)へ行くことに。

実は台湾総督府の左手前には日本統治時代に台北高女と呼ばれた女学校があり
(現台北市立第一高級中学—-台湾では有名な女学校となっているようです)
ボクの母は、台湾で生まれ台北高女での前半を寄宿舎で過ごしたことがあり
母にとってはとても懐かしい場所でした。

16年前に、母と亡くなった姉、我々夫婦で台湾に行き、
母をこの学校に連れて行ってあげたことがあります。
統治時代の卒業生たちが日本から数多く訪れるようで、
守衛さんに通して頂き中に入ることができました。
バスがその学校の前を通り過ぎる際に
あの時の蒸し暑かった思い出が湧き上がりました-----。
(それにしてもその2年後に50歳で姉が逝ってしまうとは-----–)

母は高女での後半を家が近くに引っ越してきたこともあり
学校へ歩いて通ったということでしたが、その場所について日本時代の町名が
現在の台北市内の一体どのあたりなのか資料が無く困りました。
幸い、福岡市図書館で尋ねてみると町名がわかる地図が残っており
それを頼りに母と一緒にその当たりを歩いたことがありました。
台湾は日本の海外の統治国のなかで唯一、戦火を免れ
悲惨な目に会っていない(私財は全て没収されましたが-----)ためか
台湾からの引揚者にとっては懐かしい思い出の場所となっているようです。 

そのためか台湾はボクにとっても母の故郷であり特別な思いがあります。

車窓から台北市内の通りを眺めていると緑溢れる街並みで
南国の強い陽射しを浴び街並みがキラキラと輝いて見えます-----—-そういえば
台中市内の至るところでアメリカの建築家であるリチャード・マイヤーの写真が
看板になっておりびっくりしました。こちらで高級マンションを手掛けられているようです。
その他にもイギリスの建築家であるリチャード・ロジャースの写真もありました。
みんなで伊東さんもあるかもしれないねえと言っていたら
台北市内で伊東さんもありました!(高層ビルの設計をされているようです)
日本では建築家の写真が宣伝用の看板になるなど考えられないことですが
台湾の方たちは意識が高いのでしょうか?

台北市内のタクシーはトヨタカムリのハイブリッド新車が走っているのをよく見かけましたが
どれもピカピカで手入れが十分に行き届いているように見えました。

昼食は小籠包で有名な鼎泰豐に行きました。
鼎泰豐は日本でも出店されており東京や福岡にもありますが
台湾のほうがおいしいということのようでした。


店内は早口の中国語が飛び交うなか満席で賑わっており、次々と料理が運ばれてきます。

厨房内は慌ただしい活気さの中で働くたくさんの料理人たちで溢れていましたが
凄い忙しさにも関わらず、給仕の女性スタッフの方々の心遣いが行き届いており
感心しました。

ジャー―ン!!この小籠包をレンゲに取り、皮を箸でつついて中の肉汁を出し
その上に小皿に用意された酢醤油がかかった刻み生姜を載せ
アツアツの汁を口に含みながら食べます!!—-ああうまい!!
—-書いていて思わずつばが出てきました!

次はえびシューマイ!!—-ああ—しあわせェー!-----続く-----–。

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