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2008.04.29

昭和の日

きょうは、旧天皇誕生日、現在は昭和の日という祭日です。
私の方は、午前中、担当のヒラノとともに輝国のSLIDING HOUSEの施主ご夫妻と
基本設計の打ち合わせ。
午後、担当のフジヤマとともにI PROJECTの施主との打ち合わせで田川へ行って来ました。
みなさん、こちらの都合で2~3週間、打ち合せを延ばさせていただき、
申し訳ありませんでした。

ところで、最近、戦後の昭和という時代をノスタルジックに捉えることが流行っていますが、
戦後の昭和に生まれ、30年近く生きて来たものとして感じるのは、
いま、みんなが懐かしく感じている時代は、戦後の昭和20年から40年ぐらいまでだと
思います。その時代は、猛スピードで世の中が大きく変わっていった時代で
東京タワーが立ち、東京オリンピックが開催されるまでが一つの節目だった
のではないかと思います。
力道山のレスリングの試合を茶の間の白黒テレビで祖母を含めた家族全員で観戦し、
血だらけになった力道山をしつこく痛めつける悪役レスラーに、本気になって憤慨し
大声をあげていました。
ミステリーゾーンも子供ながら大変怖い思いをしながらも興味津々で見ていました。

まだ、家族が核家族化しておらず、満州で捕虜になった父が、モスクワに抑留され
戦争が終わった数年後に帰国、抑留中に父親がなくなった一家を、長男として
母親や弟、妹たちの生活の面倒を見るために引き取り、その後に生まれた
私の周りには、たくさんのおじやおばたちが一緒に住み、学校に通っていました。

当時、父の会社の社宅が高宮にでき、白金の戸建から移りました。
コンクリートの3階建てのそのアパートは3DKの狭い間取りでしたが、
何かとても明るく輝いているように見えました。
北側にある4畳半の茶の間兼寝室の重たいスチール製のアミ入りガラスの窓からは、
ムーンライトホテルという円形の変わったホテル(ラブホテル?)越しに
遠く中洲のネオンが華やかに輝いているのが見えました。
あーーやっぱり、あの時代は私もとても懐かしく感じます。

その後の40年以降、あまり大きな変化は、あの時代ほどは感じなくて、
急激な時代の変化が一段落したからかもしれません。
みなさんは、昭和の時代っていつ頃が懐かしいでしょうか?

“昭和の日” への1件のコメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
     休日返上でお忙しいようですね、お身体をご自愛くださいませ。
     私は東京オリンピックの翌年生まれですので、若干大石さんとは違う世代なんですが、感覚としてぎりぎり昭和の記憶がある世代だと思います。福岡でいえば、チンチン電車にもよく乗ったし、ショーター選手を平和台まで応援に行ったり。
    食べ物でいえば、何でも喜んで食べていました。お腹いっぱいでも嫌いな物でも、頂き物はうれしくてうれしくて笑顔でした。
    学校ではまだ戦後30年前だったので、徹底して平和教育があっていましたね。

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